こんにゃ、最終回。

わざとでしょうが。



ずっと観てきましたけど

今夜の最終回はなんとなく

寿一(長瀬)がプロレスで

先に亡くなるのかなぁ?

なんて思ってしまった。



自分を客観視したような映像や

自分を見つめる本人の映像なんかを

見るとね。なんとなく。



最終回へのフリなのか

すでに死んでいて過去を

振り返っていたのかとか、妄想(笑)



この脚本家さんは

そんな伏線回収の仕方

好きそうな感じするし。



このドラマのテーマ。

家族が困難に見舞われたとき

どうやって自分の意思と理屈と

そして感情に寄り添えるか?



ということだと自分で設定した。

勝手にね、自分で設定(笑)



そして、しょうがないと

あきらめること

反対に、逆にあえて

あきらめないようにしてみること

これもポイントなのかなと。



なんとなく「介護の型」を

世間的にも踏襲しがちなんですけどね。



それぞれ「家族の型」ではなくて

「家族の形」があるのだから。



型はある種、決められた形であって

典型的な日本人が好むであろう

パターン化の意味合いの強い型。



でもそれぞれの家族の形がある。

理屈じゃなくて、感情で向き合う

家族だからわかる感覚や選択。



どう判定されようが。

数字や基準で示されようが。



このドラマの舞台設定も面白い。

能のイメージって、

能面というくらい

無表情、無感情な人間を

例えるように使われるけれども。



このドラマでは対照的で

人間の感情がストレートに

色濃く描かれているのもいいなと。



もちろん、能を詳しく知らないから

そう思うだけなのだが(笑)



でも素人のワタクシにしてみれば

能の面の冷たい表情とは対照的な

熱い人間的な感情の対比が面白い。



息子がプロレスでマスクマンになる

という能面とマスクの対比もね。



しかも長州ドンピシャ世代ですから。

ドンピシャ・・・すんご古そう。

いじらせてる長州さんがすごい。

たいしたもんですよ(笑)



世間的な型を意識して

介護になったら家族がこうすべき

という型ではなくて。



それぞれの家族の形があって。

家族を介護の型にはめ込んで

なんとなく他人に預けて

自分の忙しさに逃げがちな

現代人へのアンチテーゼのような。



いろいろと私たちに

突きつけてくれるドラマだったかなと。

最終回を楽しみにしたいと思います。







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ここからはホントの

俺の家の話ですが。

おまけです。



ワタクシの家は嫁である母が

父方の2人がほぼ同時に悪くなり

病院や施設に預けることになった。



その当時はまだ介護する側も

される側もいまほど環境が

法整備も含めて、整っていない。



特に気性の荒い祖母のほうの

当時の看護婦(あえて)は

言うこと聞かない患者に

ストレートに文句を言い怒鳴りつけ

家族を夜中でも、何度でも何日でも

呼び出し電話する

そんな時代だったという。



ちょうどワタクシを含む子供2人は

家を出ていて父と母の2人暮らし。

父も母も共働きの状態であるが、

どちらかというと父は母に預け気味。



働き盛りの年齢だったが50代で

80代の祖父母、そして母方の祖母も

寝たきりで手助けしつつ面倒を看るという。



母はほぼ同時に3人の面倒を看る

想像を絶する忙しさだったという。

そのうえで子供を気にかけて惣菜をつくり

荷物を送ってくれていたのだから・・・



いまでもあの時を思い出すようで

毎月、お金が入っては逃げていく

という生活だったと。



よくやったなぁと自画自賛で

母も思い出すことが多くなった。



おそらく自分もその当時の祖父母に

近い年齢になり、自分なりに

いろいろと思いを重ねているのだろう。



その後、母は自身の兄、姉2人と

次々と悪くなっていく、きょうだいたちを

いまも現在進行形で見守る。



さすがに制度が整って以前と比較しても

安定して任せられるようにはなったが。

もちろんキリがないので安心ではない(笑)



母本人は、人の面倒を看ていく人生に

少し不満を言いながらも、

不思議なもんだよねぇ

とちょっとポジティブに見せるのも

母の人柄なんだろうなぁと思う。



放っておけない人なんでしょう。

だから、人が慕ってくるというか

集まってくるのかもしれない。

幸か不幸かね・・・(笑)



ドラマ「俺の家の話」を観てると

家族を精一杯助けようと

差しのべる感情と

介護の現実、システムへの妥協、依存。

どう向き合うべきなのか。



そして自分の家族はかつて

どんな思いで、どう向き合ってきたのか。

いろいろと考えさせられる。



おしなべて母のような世代で

介護をしてきた人は言う。



自分たちの介護はさせたくない。

迷惑をかけたくないからと。



たぶん、ホントにつらいんだと思う。

だから同じ辛さを味合わせたくない。



みじめに見えてしまった相手に

自分を重ねてしまうからか

そんな自分を見せたくないのかなと

思っているのかもしれない。



でもそれは違うよ、たぶん。

ワタクシはなんとなくそう感じる。



親が自分の親世代にしてあげたこと

つまり、祖父母の介護については

人生でみんな通るべき経験であり

耐えて学ぶべき試練なんだと思う。



同じ経験を自分もすることで

共有、実感する部分ってあるから。



そこをしなくていいとなると

人間的に少し、足りないパーツが

できてしまうような気がして。



だから、たとえツライと言われようが

自分の親がしたツライ体験も

ある意味では自分も経験して

辛さを乗り越えることも実は

人生の課題なのかなとも思う。



もちろんできること、できないこと。

バランスとる必要はあるけど。



このドラマのように

感情的なつながりは意識して

大事にしなきゃなと

いまは思うようになりましたね。



さて、どんな最終回を迎えるのか。

家族はどうあるべきか。

それぞれの家族で考えてみる

キッカケにもなるのかなと思います。