あさイチのアナウンサーが退職して
まちづくりをしたいと転職するとか。
まちづくりっていうけど
どこのマチも変わらない世の中に
なってきて均質化している現状です。
互いが過去、現在、未来について。
何をどうデザインするのかでしょう。
住民もその主体として参加する
流れをつくっていく時代だと思います。
都会のデザインをそのまま田舎に
持ってくる安易な真似が多すぎて。
しかも田舎のメンタリティも
どこか都会と同じものを求めていて
その同じサイクルに慣れすぎている。
儲けられたらなんでもつくっちゃえ
ってのを許してしまってる住民も
そろそろ声を挙げないと。
実際、つまらないマチだよって声は
よく聞くでしょ?ホントの話ですよね。
かゆいところにまったく届かない
まちづくりを展開している。
ワタクシの住むマチもやっぱり
田舎らしく特徴のないワンパターンの
まちづくりをしていますよ(笑)
前にも散々書いてましたけどね。
便利とか儲けるとかを追求すると
マネするしか能がないのでしょう。
すぐに元を取らなきゃと思うから
いつまでたっても突き抜けない。
住民も、なきゃないでいいけど
あったらあったで使う程度の興味。
それよりもすぐに効果は出ないけど
時間の経過とともにツヤが出てくる
そんなまちづくりをやろうよと。
残したい風景とかあるし
再生させたい取り組みもある。
この景色は便利や儲けより大事。
すぐには、つくれないですからね。
しかしそれをまともにやるとなると
やっぱりお金がないんですよね。
お金の配分の問題で回してこれない。
結果、そういう住民の気持ちを挫く
かわいそうなまちづくりを見るだけ。
でも反対する権利もあると思います。
廃れる昭和の錆びた遺物がある一方、
国道沿いに大型店舗の大行列。
なんという品のないマチでしょう(笑)
全国的にそうなんでしょうね、
なんも考えなくていいから。
ビジネスモデルを踏襲するだけで。
特徴を消しにかかるが止めようとも
しなくなってきて数十年が経過している。
みんな止め方を知らないまま
消費の波に我が身も漂うだけで
何一つ、私たちの世代は
次の世代に遺してやれないで終わる。
「昭和」「平成」って結局は
なんもできなかったな。
結果、消費してすり減らして
ツケだけ遺して、ムダに長生きして
去っていった世代だったなって。
鼻で笑われる時代、欲におぼれた時代と
揶揄されるでしょうね、後世では。
このままではそうなっちゃいます。
便利なマチをつくってもダメなんです。
いま良いと思えることの真逆をやるくらい
じゃないと、たぶん後世、笑われるだけ。
景観を何もかも台無しにしてしまい、
各地の良さも何もない。
ここだけみてくれと(他はみるな!ってね)
誰も乗ってこない、いまいちな
面白さのない惹き付け方の足りないやり方で
盛り上げておりますので、来てねという。
しょうもねぇことばっかりやって
カネの無駄遣いしてるよなって
みんな言ってますからねえ。
センスねぇよ、とぼやくのは
いまに始まったことではないけど。
ワタクシは高齢者世代が
遺したいものに自ら寄付をさせて、
まちづくりへの参加を促すのも
悪くないと思っています。
そろそろコッチ方面でも意見が
可視化されてくる時期なんじゃないか。
芸能人の揚げ足取りに一喜一憂するより
自分たちのまちづくりで声を挙げたほうが
まだ、生産的ですよね。
年をとるともうオモシロイものを
与えられるだけでは満足しないでしょう。
年寄りに合わせて
トレンドは動かないから。
無理やり若い世代に合わせるのではなく
自分たちでお金を集めて、まちづくりに
参加する「 」な時間を埋める。
そういう次の世代への遺し方も
素敵だなと思うんですよ。
「 」は自らが、自分たちで
各地で考えてお金と知恵を出し合って
決めるんです。
こういうあえて空欄にしたほうが
やりがいや、生きがいにつながるでしょ?
あきらめている世代が多くいる。
いすぎて困るくらい、いるんです。
立つ鳥跡を濁さずと言うけど、
立つまで長くなりすぎた私たち。
次の世代のために遺しておくことは
まだまだ、空欄のままで残っている。
やれないことはないと思いますけどね。