コロナに関しては数字を

判断基準に考える人が多い。



こういう未知のものに対しては

数字でゴーサインを出すとき

大事なことはなんだろうか。



ワタクシが想像するのは

そのタイミングをあえて早めたり

あえて遅らせるなど



自分たちが正しい

と思うタイミングと

ちょっとズレをつくる。



このズレを意図的につくることが

大事なのではないかという

予感がするんですよね。



緊急事態宣言が解除されようと

しているいまこそ、私たちにとって

気に留めておく大事なことだと思う。



これはコロナだけでもないけど

自分たちがいいと思っていること

もう大丈夫と思っていること。



これらの基準について

信じすぎないことが大事だなと。



コロナの発症に誤差があると

言われているように、

私たちの基準も誤差があると

認識したうえで判断する重要性。

ここを意識するのがポイント。



どうしても基準を欲しがるけど

想定外を自分の中に担保しておく。



基準を信じすぎずに、あえて

グレーゾーンを残して意識下におく

みたいな感覚。

ちょっとわかりづらいけど(笑)



あとで、大丈夫だって言っただろ?

って失敗を誰かに転嫁するのではなく

失敗した場合も想定しておく必要がある。



想定外を想定内にあえてしておく感覚。

このニュアンスが伝わるといいですが。



俗に言う心配性の類いでしょうけど

未知の場合は、功を奏すこともある。



想定外のとき、冷静に判断して

立ち回るためにはアドリブ的に

その場その場で判断を要求される。



でも、想定外を想定内にしておくことで

損害や被害を最小限にすることの

可能性は上昇すると感じるんです。



うまくやってる人ってこのへんの

曖昧なニュアンスをちゃんと

自分でつかんでいる気がしますよね。



すごく感覚的に見えるかもしれないけど

実は論理的で一理あるみたいな。



文系ロジックみたいな感じですけど

数字であって数字でない。

余白や空間を把握しつつ予測する感覚。



現代人は特に数字に敏感になるが

数字に操られすぎている自分を

俯瞰で見れていないのではないか。



数字で大衆が大きく動くとき

そのエネルギーの誤差は案外、

想定以上になりうると感じるんです。



まぁどこにでもいるオッサンの感覚。

抽象的すぎると思われるでしょうね。



なんですけど、生き延びていく上では

大事な感覚だとにらんでおります(笑)