最近思ったことを少し。
ウチにも年老いた母親がおります。
考えてみると母は戦後の貧乏なくらしを
たびたび言葉でワタクシにも伝えた。
お金がなくて、みじめで悔しくて。
戦後苦しい時代を爪に火を点すように
生き抜いてきたという。
つい最近、あらためて思って
母に提案したことがある。
貧乏な時代のあの当時、
日常生活の風景などを
写真になんて取るお金もなく
当然、残っていない。
かろうじて残っているのは
節目に撮影した集合写真や
スナップ写真程度だ。
いま、息子や孫の世代に
伝えられるように残しておくため
記憶の中にある光景を
絵に描いて残してはどうかと。
決して絵心があるわけではない。
しかし味のあるやわらかな絵を描く。
手書きで紙に描いたほうがいい。
記憶の感覚は腕や手をつたって
描くほうが記憶に正直になるから。
iPadなんかもってのほかだ(笑)
大事な感覚が伝わりづらい。
むかし離れて暮らしていたときは
手紙をよく送ってくれた。
その手紙の端っこには
いろんなことに精を出している
自画像が添えられていた。
よく食材や惣菜など作って
段ボールにいっぱいに詰め込んで
送ってくれた温かい記憶がある。
夏は腐るといけないからと
保冷剤を入れ、さらにクール便で。
段ボールの隙間を埋めるだけ埋める。
ポケットティッシュやタオルなど
あっても困らないものでギッチギチ(笑)
そのとき手紙で自身の近況を知らせて
さらにワタクシの体を思い
お世辞にも上手といえない料理を
一生懸命つくって送ってくれた。
子を思う母のあのなんともいえない
無敵の強さを感じたものだ。
もちろんいまでもその手紙は
ちゃんと取ってある。宝物だ。
しかし、母の記憶の中にだけある
その光景は聞かされる言葉だけでは
想像がつかない時代にもなっている。
特に孫の世代となると
完全にピンとこないであろう。
ワタクシも息子としては
聞いたことをすべて覚えて
いるわけではないから。
もしかしたら大事な話で
ワタクシ自身忘れてしまった
記憶もあるかもしれない。
ウチの家庭だけではなく、
いろんな家庭で祖父母たちが
生きた歴史というか経験が
伝えられなくなって消えてゆく。
むかしを思い出すことで
本人もあらためて人生と向き合う
そんな感覚もあるだろうし。
むかしを思い出したくもない人も
もちろんいるだろうから
すべての人にとは思わないけど。
資料映像や写真はほんの一部を
写したにすぎないことで、
それぞれの地域のそれぞれの生きた道。
ヘンな話、意識や記憶が
しっかりしているうちにね。
何かの指針にもなると思うんです。
自分だけがツライと考えてしまうとき
支えになる光景かもしれないから。
この頃にくらべれば自分たちはもっと
やらなきゃ、前に進まなきゃと
感じられることもあるのではないか。
写真より記憶のほうが肩肘張らない
現実やリアルが描けるかもしれないし。
次の世代が迷うとき、何かの叱咤になり
何かの歯止めになるかもしれない。
私たち現代人は案外、古い記憶や
古い時代、古い人を大事にしないまま
先へ先へ進んできた気がするんです。
先の見えない不安にうなだれるより
過去の人々に思いを馳せれば、
忘れていた大事なことに
気づけるのかもしれない。