他人から言われたくないことを
言われると不快感をおぼえる。
人間、どうしても瞬間的におぼえる衝動。
不快感を無くす方向にシフトし続け
その上コロナ禍という負荷もかかる。
不快感を抱えながら
たずさえながら生きる選択は
できないものなんだろうか。
いちいち足止めを食らうように
こっちへ、あっ、こっちでした!
失礼しました、また戻ります!
みたいなところがあって。
もう「おむつ」しながらでいいから
前に進むしかないでしょう。
ストレスを抱えながら生きる
というと、しんどくなるのだが
ストレスに感じないように
マインドセットできればいい。
単純だが単純にはできそうにないのか。
厄介なのは自分が感じる不快感だけでなく
他人が感じる不快感にも口を出すこと。
そういう声が聞こえてしまうと
対処せざるを得なくなるという結論に
至ってしまうのだ。
いちいち全部説明しなくちゃ
ダメなんすか?って失笑気味だ。
それでも説明、謝罪(のふり)
これでまた足止めを食らう。
それを狙って仕掛けてくる始末で。
なんか、作業っぽいんですよね。
流れてくる不快感を拾い上げ
水気を切り、拭き取って
ダウンタウンっぽく言うと
さらにテンカフンつけて(笑)
丁寧に順番つけて並べてる。
あとで取り上げるときにわかるように
タグをつけて整理して並べておく。
作業者として作業の習熟度を
上げ続けることで満足感を得てる
みたいな人いるでしょ?(笑)
ワクチン供給の準備だってそう。
他の国は、仮テントで専門外の医者が
生き残ったなんの知識もない素人と
手術する決断をして実行する、みたいな。
どっかの映画にでもあり得そうな
ストーリーを地でやってのけたりする。
日本はというと、
状況が違うという理由はもちろんある。
だが、時間があってもなくても
会議して相談して、精鋭を集めて
なんなら病院を建築して
シュミレーションを徹底してみせ
避難訓練のように万端整える感じ。
伝わるといいな、このニュアンス(笑)
どっちがいいという問題ではなくてね。
重要なのはいざという時に、日本は
「仮テント素人助手手術」のような
決断ができないんだよなということ。
これが致命的な傷を負う要因にもなる。
たぶん、性格の根幹を支える思考。
日本人に潜む、失敗の本質の核心。
何かをやってなければ不安。
できることを準備して整えるのと
ちょっと違う、不安の払拭に近い。
準備していることで不安な気持ちを
鎮めているような感覚だろうか。
みなさんにもおぼえはないですか?(笑)
決断を先送りしつつ、責任を回避。
それによってこびりついた
換気扇の汚れ。ベッタベタだ。
もう回らなくなってきている。
ああ、回ってる羽根が目視できる。
止まりそうだな、もうそろそろ。
回避もできなくなるんだろうな。
次々とお茶を濁しながら今度は
高額接待を追及するという
茶番を見せつけてくる。
わかるけど、もういいって。
失笑してるのに。
ひとつひとつは大義名分は
あるんだろうけども。
でも芝居しているような彼らを
芝居を観たくないのに
エンドレスで見せられてる状態。
そら私たちもだ~れも興味なくなるし
協力しなくなりますわな(笑)
不快感を払拭してみせることを
パフォーマンスされても困る。
不安感を払拭するように
何か準備したり訓練したり。
ワタクシもそういうところ
実際にありました。
かつて、そんなことして
不安を払拭してたと気づいたから。
おぼえ、あるなぁと思ったから。
だからこんなこと書けたんだなと。
みなさんも一度試しに
不快感も不安感も引きずりながら
歩いてみたりしてはいかがでしょう?
案外、なんでもないよなってわかるし
こんなこと世の中にたくさんあるよな
って思いますから・・・