緊急事態宣言にも

 

国民はシラケてますよね。

 

 

国は、なんで国民は言うこと

 

聞いてくれないのか?と

 

本気で悩んでいるんだとしたら

 

どうかしてる。

 

 

人がどうしたら、心が動くか。

 

もうガマンしてくれと言うだけで

 

無償の協力を求める戦略は

 

通用しないのがわかったはずだ。

 

 

それでもすぐには

 

やれない理由がある。

 

 

いや、やる前から気づいているけど

 

それやってしまうと、アレだからと。

 

政治家は言いたくても言えないことがある。

 

 

自分はすぐにラクなやり方に屈しなかった、

 

私は抵抗して、それでもやはり国民のために

 

仕方なくやりましたと、後世も意識した

 

パフォーマンスをしたいのがミエミエ。

 

 

政治家はパフォーマンスの手順を見てる。

 

見てるというか、政治家自身が

 

私たちが意識しない手順を意識している。

 

 

どうやら、政治家には手順でどう立ち回るか。

 

という国民には見えない評価基準で

 

動いているのではないかと思うことがある。

 

 

考えてみれば、国民が素直に

 

こうやれば早く解決するという方法が

 

正しいのは、政治家もわかっている。

 

 

言われなくてもわかっている。

 

でも、やらない。

 

国民がダイレクトに欲しい手段は

 

最終手段なのだ。

 

どうしてもダメならその手をうつ。

 

 

しかし、その前に私はこういう手順を踏み

 

現行法のもとでできることをしましたよ、

 

という政治家通信簿の評価基準に従って、

 

行動するのが政治家だと思い込んでいる。

 

 

前にも似たようなことを書いたことが

 

あってね。シンゾーアベのときも。

 

同じような感覚を感じ取ったんですよ。

 

 

このプロセスを踏む手順を意識した流れ。

 

人間じゃないんですよ、政治家という

 

役職を自分におろした行動なんですよね。

 

 

手順を意識するのはやっぱり

 

法律に則って厳粛に遂行するのだ

 

という第一段階の手順を

 

マニュアル作業のごとくやらなければ

 

法律的な瑕疵というか、欠陥というか。

 

そこを責められ追及されてしまうから。

 

 

だから、現行法の基準でまずはできること

 

手順でできる範囲内の行動でやってみせ、

 

それでもダメならば、本当にすべきことを

 

法律を変える手順を整えてから、やる。

 

 

だけど、いつもこの手順の踏襲による

 

タイムラグが生じてしまう。

 

時すでに遅し、常に毎回そう感じませんか?

 

 

いつもこの国民の意識と政治家の意識には

 

タイムラグが生じ、最初に解決法がみえても

 

まずは手順どおり、ダメならその方法で。

 

 

それをやっておくことで責任追及を免れる。

 

法律で縛られすぎてしまうけど、

 

どうしようもない現実を前にしても、

 

やっぱり手順を踏み、パフォーマンスを

 

みせてからでないとできないんです、と。

 

 

もちろん、遅くなってしまうのもわかってる。

 

でも法律を整えてからでないと、

 

根回しをしてからでないと、できないんだと。

 

 

おそらく、アベやスガ

 

だけじゃなかったんでしょう。

 

 

もっと前からも結局、政治家は

 

法律どおりのファーストステップ、

 

ダメなら法律を整えて、仕方なくやりました。

 

そういうスタンスなんです。

 

 

こういう世界なんでしょう。

 

法律の手順に縛られて後手後手を踏む。

 

日本の伝統芸能というか、誰もはみ出せない。

 

 

それは政治家本人だけでなく、

 

引き立ててくれた他の政治家や有権者にも

 

泥をかぶせてしまうから。

 

 

キレイにキレイにやるパフォーマンスを

 

まずはしなくてはならないのだろう。

 

外国がどうかは知らないが。

 

 

悪くなるよ、悪くなってしまうのも

 

わかっているよ。って状況でも

 

でもこれやってからじゃないと、

 

我々は行動できないのですよと

 

嘆いている、それが日本の政治家。

 

 

アベ、スガと同じように

 

緊急事態のときの対応とタイムラグ。

 

政治家の鉄の掟みたいなものを

 

守らされているんだなぁと。

 

 

法律の前に、あなたもわたしも人間ですよ。

 

 

人間がよいと思った判断は

 

適切なタイミングで適切に人間が行うべきです。

 

 

私たち自身もすでに人間が出す基準よりも

 

スーパーコンピューター富岳が出す基準に

 

吸い寄せられ始めてしまっている。

 

 

たとえ、事実だとしても

 

リスクゼロでは進めなくなる。

 

立往生するときリスクを受け入れながら、

 

判断して実行するのは人間です。

 

 

根拠を今度は法律から、AIに変えてゆく。

 

ああ、こうやって人間が全部負けていくんだ。

 

人間の末路を描いた映画やドラマも

 

あながち、ウソじゃないのかもしれない。

 

 

人間には、直感的にこうすべきと

 

からだが反応してしまうときがある。

 

人間がファーストチョイスで思ったことは

 

案外、結果的に正しいことが多い。

 

 

そこを知識や技術が塞いでしまう。

 

知識や技術、法律。

 

時代が違えど、人間が決めたことを

 

人間が覆せなくなっていく。

 

 

最期にAIにはこう言われるはずだ。

 

「自分で決めてください」と。