桃田コロナ案件で、またいろいろと
言うヤカラが増えるんでしょうね。
コロナ対策をしたけど
結果的に失敗した人を
責め立てても何も始まらない。
解決もしないんですよね。
前に進まない感じしかしない。
人間、対策が甘くなるのは
否めない、否めないんですよ。
ずっと万全を期していたとしても
必ず隙は生まれ、入り込んでくる。
「コロナ慣れ」してしまった私たち。
イコール、「コロナ疲れ」してる私たち。
全員に同じ基準でずっと守らせるのは
不可能ですからね。
このコロナは日本ではまだワクチンが、
有る無しでいえば、無い段階。
だからどうしてもかかる人は出てくる。
かからないように努力しても、
ゼロにはならないのもわかっている。
もしかしたら緊急にワクチンを
前倒しで承認するかもしれないが、
以前も書いたとおり日本人はリスクを
取りたがらないので世界一遅い決断を
することになるでしょうね。
そもそも潜在的な感染者が多いのに
PCR検査などで確定させないかぎり
自分はコロナに感染しているとは、
認めようがない状況のいま。
これっておかしいでしょう?
日本人が混乱に弱くて
不安を増幅させやすいと
大衆心理をみくびられている証拠。
政治家は、国民の混乱を懸念している。
国民自身が不安要素なのだと
言っているようなものなんです。
なのに。なのに、である。
気持ちを撫で下ろしたい感情で、
人を責めることで溜飲が下がる。
そういう都合のいい行動に出てしまう。
前も書いたことですが、
私たちはもう微量のコロナに感染済み。
そう予測しています、ワタクシは。
花粉とおんなじシステム。
花粉を吸い込んでいない人なんて
この世にいないでしょ?
調べれば出てくるのは当たり前。
ある一定量のラインを超えると
花粉症、コロナ。そういうイメージ。
つまり、すでに感染していた人の中で
検査をして発覚した人の数、でしょ?
一定量のコロナ(花粉)が検知されたため
新規感染者と断定します、って具合に。
目にみえないだけであって、
感染している人は周囲にもいると
想像していいくらい。
もちろん自分も、かもしれないと。
ただ、文句をタレる人たちは
自分が、かかっていないかのように
他人を責め立ててしまう。
そういう人たちがPCR検査等で
感染していたことが確定した場合、
ものすごく恥ずかしいはずです。
かかっていると思う前提で
行動する大事さをわかっていながら、
自分は、かかっていないテイで、
振舞おうとしてしまう不思議さ。
心理的にコワイんですよ。
病気が見つかるのが怖いから
健康診断を受けない
というのと似てません?(笑)
たぶん、現実の問題として
突きつけられるのが怖いんです。
それはどの病気でも同じでしょ?
病気だと知らされたら、
気分が滅入る。
聞いた途端に元気がなくなり、
気持ちでなぜか負けてしまう。
知らせないほうが幸せで元気で、
知らせると元気なくなり弱ってくる。
まるで逆の効果が人間に起こる
という不思議な現象のことも
みんなよく知っているからですよね。
桃田自身も別に油断したわけでもなく
出てほしいというオファーがあるのは
活躍した証拠、期待のあらわれ。
それに応えようとするのは立場上、
なかなか止められないでしょう。
オファーしないでくれともいえないし。
ただ、受けるか受けないかは
いろいろと悩んだのではないか。
収録時は来年つまり、今年2021年に
開催「予定」の五輪に向けて
選手として盛り上げたい気持ちと
感染予防の観点と板挟み状態。
それでも、
五輪自体をあまり望んでいない世論が
強いと言われているからこそ、
もう一度、興味をもってみんなで
盛り上げていくチャンスだと
考えたのではないだろうか。
今回は裏目に出てしまったが、
どんなかたちであれ、メディアに
露出してアピールすることの
積み重ねが大事だと知っていて、
その気持ちのあらわれだろうと思う。
目の前の確定された感染結果を
責めるのは、たやすいこと。
こどもでも、ダメだと言える。
でも感染予防と、感染意識は
違う感覚でとらえないといけない。
そして病気を知る怖さ、心理的不安。
五輪への換気ならぬ、喚起のために。
もう認めるべきなのは、
私たちのコロナに対する覚悟。
花粉と同じイメージをしたらいい。
もう吸い込んでるから。
微量のコロナも吸い込んでいるから。
鼻水があふれ出てしまう一定量。
コロナでも、それを超えないように
免疫力を高め、健康に留意して
手洗いうがいなど、
できることをしましょうよ。
ということではないですか?
いまの私たちに必要なのは。