最近、公的な立場にある人たちが
相次いで大人数での食事会や懇親会に
参加して非難される、というケースが
大きく報道されていますね。
彼ら自身の認識の甘さもあるんでしょうが、
おそらく食事会や懇親会を開くことによる、
「違う思惑」を捨てきれないからだと
個人的には感じるんですよね。
来年もどうぞごひいきに。
今年もありがとうございました。
応援、関係性の継続、
変わらぬ支持、支援。
これらを目に見える形でやる意義。
開くこと、足を運び顔みせ程度でも
参加することによって、その姿勢を
双方で確認する暗黙の了解。
そういう感謝と関わる人たちの思惑が
大きくはたらいているんですよね。
私たちはこういう会を開くことが
大事であって、会に参加する双方が
その何らかの恩恵にあやかりたい、
そういう気持ちが腹の底にあるからです。
コロナであってもその思惑が強くはたらく。
だから会を開催する予算もつけていたり、
それを使いきらないと来年度の予算に関わるとか。
いろんな思惑、あると思うんですよ。
小賢しさ満載ですよね(笑)
そういう関係性をつくることに
終始してきた日本の社会の象徴ですね。
コロナ禍で、すごく情けなく思う。
やっぱり彼らはそのやり方を守る意識、
「前例を踏襲する意識」がすべてを上回る。
根本的に変えられない人間たちの意識が
改めて浮き彫りになっている証拠です。
私たち一般人もそうですよね。
だいぶ前に書いた法事などの冠婚葬祭なども
決断し難い気持ちで、それでもやらないと
と思ってしまう、関係性というウイルス。
これは今年は双方が、
会合やイベント等は、やらないけど
関係性は変わりありませんよと。
そういう両者の意思確認をきちんと
すべきですよね。
同じパターンを無意識に求め続け、
恩恵にあやかりたい思惑は誰にでもある。
ただ、コロナという事態を考えれば
失礼でもなんでもないのだという、
意識の持ち方、その表明が重要になる。
公的な関係でも、民間でも
その意識の持ち方を
徹底するくらいでないと
コロナはそのスキマさえ逃さず、
入り込んでくる。
現に、いま書いている途中で、
イギリスから帰国した日本人から
変異種が確認されたとの報道が。
まぁいいや、とかの基準を
私たちは、少し上げるべきです。
警戒レベルを意識的にあえて高くする。
大事なのは、無意識にこれは大丈夫と
これはちょっと迷うというようなことに
油断が生じ、スキが生まれていく。
すごく難しいことですけど、
すごく大事な感覚だと思いますよ。