これからどんどん目に見えて
あらわれてくる困窮した人、世帯。
国はどんな手を打てるでしょうか。
そもそも困窮者はどの時代でも
いたはずですよね。
私たちの祖先たちはもっと、
苦しい思いをしながら、
生きていたのかもしれません。
ただ、いまの時代に言えるのは
まがりなりにも、豊かな数十年間を
謳歌した社会になっていたということ。
つまり、上がったところから、
落ちるという事態になっていることは
これまでの社会と少し状況が異なる。
私たちにとって、一番難しいのは
自分の生活レベルを下げることを
受け入れられないっていうジレンマ。
便利なものを得て、それに慣れた人間。
大きく根底から崩れないかぎりは、
無理なのかもしれない。
物や待遇にある程度、満たされて
生きてきた世代がほとんどです。
ワタクシも含めそういう世代の人たちは
何か、下がることを極端に嫌う。
そういう生活に慣れてしまってからの
マイナスな環境変化に対しては
この世の終わりと思うくらい、
精神的な重圧が大きいのだろう。
戦争もなく、平和で経済が右肩上がり。
そこからピークを過ぎてあらゆるものを
維持することが難しくなっても
「下げ」を許せない感情を捨てきれない。
社会も積み重ねを前提に
負担ばかりが増していく。
物価や税金が上がり続けるなかで、
収入が生活を維持できないほどに
横ばいか、減少を続けていく。
それでも、アレもコレも手放せない。
捨てがたい生活を送り続け、苦しくなる。
実際にある程度の生活を維持しようとか
将来のためにやっておきたいことか。
すべて必要なことでもないのに、
すべて維持しようとする。
もう勝ち組しか維持できないことを
スタンダードかのように追随していく。
借金しながら見栄をはり続ける。
コロナや不況のせいにしているが、
〇〇がなければ私たちは幸せなのか。
生活していけることのみが幸せなのか。
キレイゴトや耳ざわりのいいことばかりを
言いたい、聞きたい人が増えているが、
平和を享受した時代だからこそだろう。
平和なうちに整えたことが
逆に私たちの足かせになる。
さらに数多くのタスクを課せられる。
人間の活動量を超える負担を強いられ、
動かし続ける「何か」を止めることが
許されないような流れを断ち切れない。
できることが、ふつう。
あることが、ふつう。
ないことが、ふつう。
ふつうと言いながら普通でない日常に
いまいるのだとしても、
例年と変わらぬ普通を求め続けて、
〇〇がしたい、〇〇がほしい、
〇〇を取り戻したい。
私たちが要求するレベルは
まったく下がることを知らない。
しかしどんどん叶えられなくなり、
どんどん要求が通らなくなって、
不通になっていく。
持続可能な社会をうたいながら、
下げる気持ちを持てない私たち。
おそらく、持続じゃ無理なんです。
永続と考えて行動、意識を変えないと。
持続だと自分の有利な状況を維持しつつ、
なんとか好転させようとして、
他のところにしわ寄せを許しながら、
見ないふりをして続けることになる。
実際、そうだと思いますよ。
永続させるためには、私たちの社会は
「持続」では不可能なんです。
持続可能な社会をうたっているくらいでは
もう持続すら、叶わなくなる日がくる。
私たちは持続可能な社会を目指して、
取り組んでいます。
だけじゃ無理なのも知ってるでしょ?って。
永続させるためには、グレードダウン。
それを受け入れるしかないのだろう。
もっといい方法がある、と期待するより
グレードダウンを受け入れる覚悟。
持続させようとしながら、
私たちの社会がやってきたことは
欲を捨てきれず全部を抱えたまま
泥船に乗り込もうとする姿ではないか。
いったん、下げよう。
維持しようとせず、下げよう。
そうしなければ、次の100年はない。