まだM1の余韻を引きずり

 

どう解釈するかで迷っている視聴者。

 

この状態はこの状態でいいのではないか(笑)

 

 

漫才か、漫才でないか。

 

これを歴史を紐解いて、漫才とは

 

こういうものだとして、

 

それを守るのもひとつではある。

 

 

ただ厳しく取り締まりしすぎて

 

守ることを優先するばかりで、

 

基準に合わないものを外し続けると?

 

 

笑えずに緊張して、評価しようと

 

しすぎてしまう悪い流れに、

 

私たちはいるのではないかい?

 

と思うこともあるんですよねぇ。

 

 

笑いたければ、笑えばいい。

 

この笑うという行為をシンプルに

 

味わうことのほうが大切かもしれない。

 

 

笑うことを許された社会って

 

いいでしょ?なんか。

 

バカバカしくて逆におもしろくて。

 

 

ワタクシも危なかった(笑)

 

取り締まり側の意識に

 

飲み込まれてしまいそうだった・・・

 

 

笑う笑わないの基準はそれぞれ。

 

周囲でガヤガヤするのもそれぞれ。

 

全国的に注目される賞レースだからこそ

 

なんだろうなぁと思う。

 

 

審査員には私たちに標準装備されている

 

笑いのスイッチもあるが、

 

別のスイッチも持っているんですよね。

 

 

演者目線でレーダー感知するスイッチ。

 

4分間のあいだに集中して笑いの組み立てや

 

技術的なことなど、私たち一般レベルが

 

気づかない部分を審査しているんでしょう。

 

 

私たち一般人がみるときは、

 

うまく引き込んでくれないと、

 

理解が難しいこともある。

 

 

その数分間は詰め込みすぎてもダメ、

 

高度すぎてもダメ。

 

 

程よ~いバランスと惹きつけで、

 

一発でグイっと惹きつけ流れをつくり

 

見事にやり遂げたミルクボーイを

 

アタマの片隅において観ていると

 

たぶん、楽しめないんだと思う。

 

 

比較相手として常にミルクボーイを

 

そばに置いてしまう人が多かったのかも?

 

 

そういう人は、録画やネットでもう一度

 

まっさらな気持ちで楽しもうとして

 

みてみるとよいかもしれませんよ。

 

 

自分たちも審査しようとしてません?

 

それって楽しめていますか?

 

 

純粋に面白くて笑うのにも種類がある。

 

ネタをみて瞬間的に面白い

 

と感じて笑うこと。

 

 

だんだん巻き込まれるかのように

 

心の中で増幅して面白くなること。

 

 

バカバカしい笑いも増幅していくと

 

面白くなってくるんですよね。

 

 

みなさん、2回観ましたか?

 

ワタクシ、もう一回観てみました。

 

長いので途中早送りしながらですが。

 

 

案外、面白かったんですよ。

 

2回目を観るということは、

 

ちょっと客観的に観られるように

 

なって自分の中でも変わってくる。

 

 

批判している人は案外、

 

もういやだから見ないという人が

 

多いのかもしれませんね。

 

2回目の印象って結構、変わりますよ。

 

 

漫才じゃないと言われた

 

「マヂラブ」も「おいこが」も。

 

略し方は適当で知らんけども(笑)

 

 

あー、なるほど。みたいな感じで

 

うまく聴き取れていなかったり、

 

気づけていなかったりしたことに

 

気づいたりしますから。

 

 

漫才に限らずですけどね。

 

1回目の印象や最初のインパクトで

 

生理的に無理だという感触を

 

自分自身が得てしまうと、

 

そこに結構、自分自身がしばられてしまう。

 

 

言ってみたらバイアスがかかる、

 

というやつですかね。

 

ワタクシもよく使ってますけど(笑)

 

 

のたうち回るのも、

 

大きい声で突っ込むのも

 

そこで毛嫌いしてしまい

 

イヤなものをみる視線でみてしまう。

 

 

なんでもそう。

 

一回目はそんなもん。

 

だから二回、三回と味わうごとに

 

私たちの側も捉え方が変わっていく。

 

気づけなかったことに気づく。

 

 

結構大事ですよね。

 

この一発で完成品をみせて

 

評価していく世の中の流れに対して

 

 

ちょっと落ち着いてもう一回

 

冷静に、あるいは違う角度で

 

考えてみようよという姿勢。

 

 

普段からその違う角度や視点を

 

意識して書いているつもりの自分でも

 

やっぱり最高の完成品とすぐに

 

比較してしまっていたんです。

 

 

あまり意識しないで生活している

 

ふつうの人にしたら、やっぱり

 

「ミルクボーイバイアス」が

 

かかってしまうのも無理ないですね。

 

 

同じように審査をして楽しませようと

 

コンテンツを作り上げることが、

 

逆に、難しくしているのかもしれない。

 

 

自分も参加したい、評価したい。

 

その意識に寄りすぎると

 

意図しない誤作動が起こる。

 

 

そうなんですよ、世の中

 

良くしようとして整えれば整えるほど

 

ちょっと逆効果が表れたりするから。

 

 

今回の現象も実は深い問題が

 

隠れているのかもなと

 

思ってたりしますね。