今年を漢字一文字で表すと、

 

個人的にピタッときたのは

 

「我」です。

 

 

ガースー(笑)、ガマン、我々。

 

まぁガースーは「冗談やがな」ですが。

 

 

ガマンや我の強さ、弱さ。

 

我々自身の自分勝手で、

 

自分本位な考えをどこまで戒められるか

 

という自分と「我が、まま」の対峙、

 

そのバランス感覚。

 

問われていたのだなと感じますね。

 

 

あらゆる我が強くなったり、弱くなったり。

 

買い占め騒動は我のあらわれでもあるし、

 

いつも通りの行動をしたくなる人間の心も。

 

 

今年は我を抑えつつ、ガマン強くなり、

 

「毎年恒例」が無くなったとしても

 

我々は生きていかなければならないのだ

 

という気持ちの持ち方が問われた。

 

 

我は、自分という意味もあれば、

 

俗に言う、相手を意味するワレという

 

両者を指す言葉でもあるのだなぁと。

 

 

つまり、相手は自分を映す鏡。

 

自分のわがままは相手にどう映るのか。

 

相手のわがままは自分にはないのか。

 

さまざまな見方があるなかで、

 

自分を省みる気づきにもなるのだろう。

 

 

ただ、まだ終わったわけではない。

 

これまでどおりに戻そうとする力が

 

はたらくことは周知の事実ですよね。

 

 

本当はこの機会にやるべきことがある。

 

これまでの社会だと

 

変えられなかったことが、

 

変えなければいけなくなった。

 

 

いよいよ、やらなきゃならぬという

 

事態が現実のものとして私たちに

 

迫ってきたということです。

 

 

それでも私たちはいつもどおりの、

 

予定調和な暮らしを望んでしまう。

 

 

変える自信がないし、これまでの

 

安定が望ましいと考えてしまい、

 

変える意欲を削いでいるとも言えます。

 

 

これも我が、そのままでありたいと

 

その方が過ごしやすいからと、

 

思って優先してしまうんです。

 

 

私たちの社会にはいまも

 

見えないところで進行し続ける

 

多くの問題を抱えながらも、

 

やっぱり自分たちの生活を優先してしまう。

 

 

この機会はもしかしたら本当に

 

変えられる最期のチャンスかもしれない。

 

 

それでも私たちの多くは誰かを

 

フォローしようとばかりして、

 

誰かの指示を待ち、自分を汚さずに

 

負担をしたくない我が、ままであることを

 

手放そうとはしない。

 

 

みんな気づいている。

 

わからないフリをしながら、

 

自分だけは、と守りに入る。

 

 

でも便利の数珠繋ぎの社会に

 

ドップリと浸りすぎたことで、

 

便利なスターターキットを

 

誰かが提示してくれるのを

 

待っているんでしょうね。

 

 

おそらくスターターキットを

 

決めて掲げていけば、

 

遅まきながらも私たちの社会は

 

動き出すのかもしれません。