なんだろなぁ、いろいろと

 

感じたことが多すぎた。長いよ。

 

 

今年のМ1グランプリは、

 

いろいろと議論の分かれるところ。

 

 

それはそれで、意味があった年だし

 

混乱の2020年そのままかな(笑)

 

 

ちゃんと敗者復活戦から本戦と録画して

 

続けてみました。

 

全体としてしゃべりが速くなって

 

ちょっと追いつけない人もいたのでは?

 

 

普段、私たちの社会全体が

 

しゃべり自体を視覚で補いながら

 

理解するツール「字幕つき動画」に

 

どっぷりハマりすぎている現状がある。

 

 

だから、わかりやすい動きやテンション

 

そういう流れになってきているんだなと。

 

今年はコロナ禍で、より加速した印象。

 

 

昨年のミルクボーイはしゃべくり漫才の

 

王道であり、新しいパターンを生み出し

 

視界が開けたようにスター街道が見えた。

 

 

今年は優勝者を含めて、

 

漫才とはなんぞやと。

 

いろいろと評価が分かれたのも頷ける。

 

 

ワタクシ自身はM1グランプリというのは

 

やっぱり、しゃべくり漫才の軸を

 

ブレさせてはいけないのかなと

 

思ってますね。

 

素人だからこそ(笑)

 

 

そのしゃべくりを生かすも殺すも

 

演者次第なんですけど、

 

この昨今の字幕つき動画が

 

もたらした功罪のうち、

 

罪が浮き彫りになった。

 

 

昨年のミルクボーイくらいの

 

絶妙なテンポだと

 

聴き取りもできて、

 

聴いた言葉とイメージを

 

瞬時につなぎ合わせて

 

笑いのスイッチが

 

入りやすいちょうどいい、

 

しゃべくりのテンポ。

 

 

そして新しいパターンの漫才であり、

 

久々にひとつの漫才の完成形を

 

みた気がした。

 

 

昨年のアレがあった分、

 

比較して新しいパターンを

 

要求するのは酷なんですよね。

 

 

しかも今年はコロナ禍で思うように

 

仕上げられなかったコンビが

 

多かったでしょうし。

 

 

混沌としたなかで難しい年。

 

お客さんと呼吸を合わせる感覚も

 

やや薄れて、少しかかり気味に

 

テンポが速くなってしまったのか。

 

そのへん、通常年とは違う背景もある。

 

 

あと細かいところで2つ。

 

笑神籤(えみくじ)は

 

敗者復活組の棒、

 

最初から入れておいても

 

良くないかい?というね。

 

 

どうせ敗者復活戦から

 

一組入るのは決まっている。

 

 

番組の演出側が、敗者復活組が

 

参加しますよという画が欲しい

 

だけなのがバレバレですけど(笑)

 

 

ただ、順番がホントに運命を分ける

 

というくらい重要なことなのでね。

 

どうせなら、最初から入れておいて

 

やったほうがいい。

 

 

おそらくあのタイプの棒では

 

あとから入れてもあまり、

 

かくはんされていない。

 

 

今田の振り方もあるだろうし

 

遠心力が働いてカチャカチャと

 

動いているようで、実は

 

あんまり動いていない気もするんですよ。

 

 

今年最初に敗者復活組が出ちゃったから

 

そう感じるのかもしれませんけど。

 

 

もっとちゃんと混ぜるなら

 

もっと細い棒にして、

 

混ざるようにするとか。

 

 

完全に10色のカラーの棒にして、

 

9組には事前にカラーボールかなんかを

 

引いてもらって同じ色が出たら出番とかね。

 

 

ビジュアル的にもわかりやすいし。

 

いろいろとまだ改善の余地ありますね。

 

 

もう1つが、採点基準の問題。

 

インディアンスも敗者復活戦と

 

同じネタだったから余計、

 

そうみえたんですが(笑)

 

 

一組目の点数の低くつける

 

流れの作り方もやめた方がいいと思う。

 

 

審査員のやり方が誰かと比較して

 

上とか下ってなると点数の意味が

 

ないんですよ。

 

 

最初、低くつけて89点スタートとか

 

キングオブコントとかでもそうですけど。

 

 

あくまで点数で評価するなら相対的に

 

誰かと誰かで点数を比べるのではなくて、

 

この人は、この人なんですよ。

 

この意味わかってくれますかね?(笑)

 

 

別にインディアンスが一番面白いと

 

思っているわけではないですけど、

 

最初どうしても低くなってしまうと

 

わかっていても、点数で順位つけるのなら、

 

陸上競技のトラックのインコースのように、

 

何かあとで補正が必要だと思う。

 

 

すべての組を、まず良い漫才をしたら

 

100点からちょっと不満があったら

 

減点する方式でシンプルにしてもいい。

 

 

あるいは、90点を基準にして

 

面白いフレーズや評価ポイントがあれば

 

プラス評価で加点して、不満があれば減点。

 

のようなスタイルだっていいと思う。

 

 

おそらく点数の付け方は、人それぞれで

 

各審査員に任せているからこそ、

 

バラツキがあるんでしょうけどね。

 

 

ただ、採点の基準で

 

最初はあえて抑え目にというのは、

 

最初不利だけどごめんねというのは、

 

よく考えたら、理不尽なことですよね(笑)

 

 

本人たちからしたら、笑えないでしょう。

 

 

審査員が評価の軸の取り方がバラバラに

 

なってしまうのも醍醐味といったら

 

それまでですけど。

 

 

演出側もそういうストーリーを意図してる。

 

でもその演出は「いまの時代」はもう、

 

違う気がしますよ。

 

 

90点がみんな可もなく不可もなく面白い、

 

という基準を自分の中に各自、持つ。

 

 

そして、減点要素があればマイナス。

 

加点要素があればプラスの評価。

 

 

それで総合的にプラスの評価が多いならば

 

漫才自体の、その人たちの個別の評価になる。

 

 

イメージとしたら体操競技の加点や減点。

 

漫才としての評価を他人と比較するんだけど

 

漫才そのものを評価した点数を、

 

他人と競うほうが、視聴者もわかりやすい。

 

 

人と人でどっちが面白いか?

 

というのは漫才の評価とはちょっと違う。

 

賞レースで、SHOWレースの評価でしょう。

 

 

最初は低くつけてしまうというのは、

 

その評価方法が間違っているだけであって

 

個別で漫才を90点から加点、減点して

 

漫才そのものを評価する基準を

 

明確にしたほうが、

 

もっと伝わりやすくなるのかもなと。

 

 

審査員にいろいろとケチがつくのは

 

この評価方法が各自でバラバラで

 

定まっていない制作側の忖度心理も

 

影響しているからなのかもしれない。

 

 

審査員が強すぎてしまう。

 

巨人とスタッフサイドのエピソードも

 

大きくなりすぎてるなと思うし。

 

あれは巨人がどうとかではなくて、

 

周囲の器量の問題なんですよね。

 

 

たびたびスポーツ絡みのたとえで

 

申し訳ないけど、

 

スキーのジャンプ競技も

 

点数が風の影響で補正されたりするし。

 

 

距離(笑いの量)だけでなくて、

 

飛型点(漫才のスキル、アイデア)などで

 

総合的に評価するような感じ?

 

 

そういう評価基準で明確にしたほうが

 

よりよくなるのかもしれない。

 

 

ちなみにワタクシは個人的には

 

チャンピオンは、見取り図でした。

 

 

スキルなんかはよくわかりませんよ?

 

でもしゃべくり漫才といろんなバランスが

 

一番しっくりきて。

 

 

漫才のチャンピオンと認めるべき

 

総合的な評価としては、

 

見取り図だったと思います。

 

 

もちろん、1本目のかんだところとか

 

決勝も最後、終わりがグチャっとなったのは

 

最後、評価に影響したとは思います(笑)

 

 

ただ、一番、漫才してたなぁと感じた。

 

漫才のチャンピオン、というならね。

 

敗者復活戦では学天即がそのイメージ。

 

 

今年はネタ順も中盤のマヂカルで

 

みんなお腹いっぱいになってしまった。

 

あれも流れだといえば流れ。

 

 

ただ、今年はコロナ禍の分だけ、

 

お客さんや視聴者、審査員、演者。

 

集中力が磨ききれていなかった。

 

 

全体として大味な大会に

 

なって見えてしまったかなと。

 

視聴者には1日で終わる大会ですが

 

参加する誰もが、その日までに

 

うまく磨いて仕上げられなかった現実。

 

 

コロナ禍が落とした影。

 

いろいろ難しい年だったなぁ。