楽なほうを選ぶと、

 

同じことの繰り返し。

 

難しいほうを選ぶと、

 

変わるチャンスは見える。

 

 

国と地方が、また

 

互いに譲らないケンカ。

 

飽き飽きしてる私たちに

 

パフォーマンス中。

 

 

責任を押し付けあいながら

 

人が死んでいく。

 

罪のない人が。

 

それを眺める周囲の、

 

冬より冷たい視線。

 

 

中小企業は淘汰されていく。

 

止まらない経済を動かしながら、

 

立て直そうとするとき、

 

大衆レベルで何ができるのか。

 

 

控えてもらうだけで、協力金なども

 

満足な給付をすぐに受けられない。

 

国に頼る一辺倒では

 

死ぬのを見てるだけ。

 

 

民間レベルで動かしていないお金を

 

協力しながら動かして回す。

 

 

淘汰を少しでも回避できるのなら。

 

店と客の間で、やれることはまだある。

 

 

貯金おろそうよ、ちょっと遣おうよ。

 

それだけで助かる経済もある。

 

 

みんな決められた金額の財布を

 

渡されてその範囲内でやりくりする。

 

 

何あるかわからないから使わない。

 

使えるときに使えるあてが

 

無くなってしまって。

 

 

貯金ある人が遣ったら、

 

守りから攻めに転じたら、

 

それだけで変わってくるんです。

 

 

みんな自分中心で良い悪いを、

 

すべきすべきじゃないを

 

判断する。

 

 

これは自然なことであって、

 

誰が止めることでもない。

 

 

じゃあ止められないのか?

 

といえば、ちょっと違う。

 

ベクトルを変えればいい。

 

 

私たちの社会は年々、

 

ベクトルがバラバラになり、

 

各自のチカラが効率良く

 

伝わりきれていない。

 

 

その業界に精通している人が

 

考えてやったところで

 

案外何も変わらない。

 

これまででも十分、証明済み。

 

 

素人の意見を聞いて、

 

玄人が見落としがちな視点を

 

ブラッシュアップさせること。

 

やってみただろうか。ホントに。

 

 

出来そうで、いままで出来なかったこと。

 

私たちはダメと烙印を押したことを

 

再度、持ち上げようとしない。

 

 

あるなぁ、と感じるでしょ?

 

実は、ここに宝は眠っている。

 

つまり、普通に考えて普通に出てくる

 

専門的な視点では解決できない。

 

 

なんで気づけないのだと言うが、

 

内側からしか見ていないから、

 

外側の視点の意識が抜け落ちて

 

気づけない状態にいるんです。

 

 

「普段の発想の外」にある考えを

 

グッと引き寄せてみる。

 

完全な受け身の大衆をあえて

 

動かす側にも参加させることで

 

変わってくるんですよ。

 

 

たとえば、時代が合ってくるという、

 

人に時代が追いつくようなことがある。

 

それはなぜ、起こるのか?

 

 

簡単に言えば「伝わったから」である。

 

受け手の視点が変わったからです。

 

 

なかなか伝わりづらいことは、

 

世間一般レベルまで浸透するには

 

時間がかかるんです。

 

 

ということは以前に試したが、

 

ダメだったことが時代が追いついて

 

通用するかもしれないことも。

 

そこの見直しをしてみるのも悪くない。

 

 

そしてお客さんが何を求めているか、

 

どうしたら協力的な姿勢に移れるか。

 

ここを損得抜きで考えてみる。

 

 

まだ客は、受け身の消費客。

 

手足をだらんとさせたまま、

 

くつろぐ受け身の気持ち全開でくる。

 

 

んで、どうしてくれんの?

 

やってるの?やってないの?

 

つぶれるの?じゃあ仕方ないね。

 

次の店どこにある?どこを探す?

 

 

行けなくなった、仕方がない。

 

それなら店と客は何ができる?

 

そこを詰めて本気で考えているか。

 

 

店は協力を求める姿勢は本気か。

 

客も協力をする姿勢は本気か。

 

 

飲食店を例にして考えると、

 

人が集まってお酒や食事とともに

 

会話を楽しみたいのがメイン。

 

そして、いつか収束した後に

 

同じように利用したいと考えている。

 

 

あそこのあの料理がウマイ、

 

あの雰囲気が好きだ、などいろいろと

 

気持ちを持っているのは確実でしょう。

 

 

その客の気持ちとお店のビジネスが

 

ズレていまはリンクしていない。

 

タイミングを失えば、いつか

 

行きたくなっても、お店自体が無くなる。

 

 

じゃあどうするの?ってところから

 

先へ進めたいビジョンがあっても、

 

そのこと自体がお客さんには

 

すぐにうまく伝わっていかない。

 

 

こうしたい、こうするから

 

いまはこういうやり方をしますから、

 

協力してくださいませんか?

 

という明確な伝え方をしていない。

 

客も目先の損得ばかりにとらわれる。

 

 

お金を払ってくれるんだから、

 

図々しいことは言えない、って

 

遠慮している部分がないですか?

 

 

お店にはそれぞれ常連客がいる。

 

その常連客たちはお店が無くなるのは

 

やっぱり「イヤだ、困る」と感じるなら

 

事前にいま何か協力したいという、

 

動機が確実にあるはずなんです。

 

 

もちろん、無くても困らないという店は

 

淘汰されていくでしょう。

 

 

しかし、無くて困る店をどう救えるか?

 

ポイントはここだと思うんです。

 

そして気持ちが入って対処しているか否か。

 

これは両者にとって大事なこと。

 

そこを引き出して本気にさせることも大事。

 

 

無くて困る客は協力できるなら

 

協力したいと損得より、上の感情が動く。

 

 

国がヘタをこいているのを

 

客はただ、見ているだけなのか。

 

無くなるのは国の支援だけが

 

原因なのかということを考えるべき。

 

 

私たちが決定的な欠陥があるといえるのは

 

受け身すぎるという、性格です。

 

 

自分たちがこうしたい

 

ということがあっても、

 

国などが決めないと協力もしようとしない。

 

 

本当は自分を守るのと他人を守ることは

 

リンクするのではないのか?

 

 

大衆を引っ張り出して、

 

当事者の立ち位置に持ってくる。

 

その参加のさせ方でまだまだ、

 

やれることがあるはずなんですよね。

 

 

みんなすぐに効果的な結論を

 

安易に求めすぎてしまっている。

 

それじゃ変わらないなら、

 

別の動かし方をするしかない。

 

 

黙って指をくわえて見ているだけ、

 

待っているだけではもう、

 

動かせない局面なんだと感じませんか?