年末のガキの使い、渡部問題。

 

昨年も書きましたが同じ心境です。

 

知りたくないんです(笑)

 

 

本番まで取っておく秘密を

 

公然とすっぱ抜くのは

 

ダメでしょ、やっぱり。

 

 

この年末の特別番組の楽しみ方は、

 

この一年を振り返りながら、

 

誰が出たらおもしろいかを想像して

 

観るものなんです、きっと。

 

 

ゴーサインだしてる上の人間も

 

バラエティ番組の歴史をワタクシらと

 

同様に見て育っている世代でしょう?

 

 

昨年も元SMAPの3人が出ると

 

確定に近い感じで報道して

 

広げてしまった。

 

 

なんかもう、メディアが

 

暗黙の「了解侵犯」しすぎ(笑)

 

どっかの国と変わらないよと。

 

 

ある意味、訴えられないものなのか?

 

これをやる神経がもう。

 

 

なんかつまらなくする糸を引いて、

 

出し抜いてやって、ざまぁみろ的なね。

 

してやったりみたいな顔していると思うと

 

やってる側も腹立つでしょうね。

 

 

視聴者のライブ感を台無しにする。

 

冷めるような報じ方は反則ですよ。

 

スポーツの結果を観る前に知らされるのと

 

同じくらい、もうどうしようもない。

 

 

本人に秘密にして周囲が協力する、

 

サプライズと同じなんですよ。

 

この空気は読まなきゃダメな空気。

 

 

大衆の知りたい欲を悪用する手口。

 

そんなこと言ったってこの手の話、

 

お前ら好きなんだろ?って

 

ささやきが聞こえてくるようで

 

少しも悪びれていないでしょう。

 

 

こんなのもルールとして明文化して

 

守らせないといけない時代なのか。

 

 

もうわかってしまったっていう罪。

 

結果を知って楽しめというのは

 

ずいぶんとナメられたもんだ(笑)

 

 

 

私たち自身が協力者になって

 

SNSでも自制心みたいなものが欲しい。

 

あとはマスコミを批判し続けることでしか

 

もう防げないのかもしれない。

 

 

記事を目にしないようにすることは

 

ほぼ不可能ですし。タイトルだけでも

 

目に入ったらわかってしまう。

 

 

マスコミと制作側の双方で折り合う、

 

歩み寄りも必要かもしれません。

 

 

 

わかってしまう、知ってしまう弊害。

 

これも結構大きな問題ですよね。

 

世の中をおもしろくなくしている。

 

 

なんかどさくさに紛れて

 

スッパ抜いちゃってもいいよね?

 

法律に触れてないからいいよね?って

 

シレっとしながら、あくどいことする。

 

 

このバランスを壊す行動が

 

近年なんだか増えている気がする。

 

 

なんでもアリと、アリじゃない境界線を

 

わかってるくせに踏み込んでくる。

 

 

地球環境と同じですね、人間が

 

コントロールする意識をあえて

 

持つことが大前提なんです。

 

 

人間の思惑がはたらくことも

 

ある程度、バランスを取りながら

 

制限しなきゃならない時代なんです。

 

 

 

この事は黙っててね、って言うことは

 

悪いコトばかりじゃない。

 

 

事実なのになんで言っちゃいけないの?

 

みたいな球を放ってくるでしょ。

 

そうじゃねぇのよ(笑)

 

 

本当の意味でのガキの使いであっても、

 

言っちゃいけないコトは感じとれる。

 

 

 

明文化しなくてもいいような

 

杓子定規にやろうとする流れを

 

人間同士の気持ちでせき止めること。

 

 

人間同士が協力しあう約束事。

 

人間だからこそ、時には許し合う

 

必要がある。

 

 

なんでやっちゃダメなの?って

 

大義名分は、ずるいんです。

 

 

イイこと、悪いことをバランス良く

 

経験できずに育った人が増えて、

 

どんどん悪質になっていく。

 

 

イイことを並べすぎていると

 

悪いことをした人の気持ちをはかれない。

 

 

自分がその立場になったら、という

 

想像ができず、許してやれない。

 

感受性が恐ろしく退行していく。

 

 

だからイイことばかりの世の中を

 

なぜか妄想して実現しようとする。

 

 

発散するように人を裁いてやろう

 

っていう感じが強くなっていく。

 

 

悪いこと経験していないからなんです。

 

大小問わず、本当に悪いことを経験してたら、

 

失敗してそのあと立ち上がろうとする人を

 

頑張れよって応援したくなるんです。

 

 

お笑いって、そういうちょっと

 

子どもがケンカしたらお互い歩み寄って

 

助けて仲直りするような、

 

笑いをキッカケにして、

 

反省してるし、許してやろうかな?

 

って雰囲気がある。

 

 

それって甘やかしではないんです。

 

そこのスイッチを逆に入れてしまう人が

 

多くなっているだけなんです。

 

 

もとはガキ大将の集まりや延長みたいな

 

人が子どもの良さを残したまま、

 

大人になった人が多い業界でしょ?

 

 

まじめくさって変に謝れなくて、

 

ふてくされている子を一緒に笑って

 

ミソギさせて「よし、これでおしまい」

 

って効果もあるんですよね。

 

 

大人になると、簡単にはやさしさを

 

みせられないようになってしまう。

 

まじめなタイプの人間がこじらせて

 

うまく仲良くなれないみたいなね。

 

 

子どもの頃のように笑って仲直り。

 

それに近い感覚っていまの社会には

 

すごく必要な気がします。

 

 

いまの社会に必要なやさしさ。

 

お笑いが一番、持っている。

 

 

つまらなくする流れを止めましょうよ。

 

 

大人がこじらせて

 

仲直りできないとき、

 

氷解させてくれるのは、いつも

 

子どもの素直な行為や一言

 

だったりするんですから。

 

 

私たちの社会はよくしようとすれば

 

するほど、まじめに拍車がかかり

 

苦しくなっていくだけ。

 

 

ふざけて笑うところは

 

残していかなきゃね。