年を取ると新しいことに対して
億劫になっていく現実に出会う。
そう、ある日突然出会うので
まだの方は気を付けてください(笑)
世の中は常に新しいモノ、コトに
進んでいこうとするけども。
若い人は許容範囲が広く、まだ伸ばせる。
年寄りや中年以降はどうだろう?
動画サイトとかでもそうなんですが、
自分の思い出に浸る時間が増えてないか。
むかしを懐かしむ、思い出すことに
時間を使うようになっていくような。
若い人たちがふざけてる
動画やなんかも
そのふざけ方に新しさは特にない。
大人たちがむかし、自分らでもやってた。
根本的に変わらない若気の至り感を
若い彼らも満喫しているだけだから。
しかし、どこかさみしさもある。
最新のトレンドにも、私たちにはもう
ついていこうとする意欲はないのだと。
流行を自分たちの好きなことで
もうつくれないんだなぁっていう。
世間の中心から取り残されていく。
それも歳をとるということだと。
諭されているような。
飲み込めそうで飲み込めない。
そう考えていくと各世代ごとに
徐々に細分化されつつ、しれ~っと
全体として端のほうへ追いやられていく。
でもそれが自然なことじゃないかと。
歳を取ることに伴い、自ら退くような
見方ができるようになってくる。
それが老齢者のたどる道であって、
上の世代の責任、次へのステップなのかな。
その構図と似ているのが、
大衆とメディアの主導権争い。
遅かれ早かれ発信力は、完全に逆転して
個人のものになっていくだろうけど。
いまも変わらずメディア関係は
若い人を中心に新しさや流行を追い、
トレンドをつくろうとしている。
この手法は基本的に昭和から平成、
そして令和になっても変わっていない。
ただ、メディア自体が
1次的な発信者から、後退して
2次的な発信者になってきている。
世間の流行り→メディアが取り上げる
っていうね。メディアの請負感が強め。
以前はメディアが先手を打つ形で
トレンドを引っ張っていた。
大衆がその流れに追従するような。
それがいまは、
近所の子供同士のつくった遊びに
大人が真剣にルールをおぼえて(笑)
勝とうとして割り込んでくるような。
いまは確実に主導権は奪われつつある。
メディアが怪物で居られたのは過去の話。
大衆が「自分発のメディア」を
獲得してから風向きが変わり始めた。
そうなってからだろう。
なんだか隠していたことが、
隠しづらくなってきた。
隠し通せていたことが
白日のもとに晒され始めた。
これもいま客観的に見るとわかるが、
すべてがプラスにはたらくわけでなく、
少なからず副作用が出てしまっている。
悪いコトばかりでもなくてもそう。
隠せたことでバランスが取れていたものも
崩れてしまう、「なんで?現象」が起こる。
このなんで?は、やるせなさ100%配合。
パッケージや薄皮までは変わっても
中身がまだ変わっていない。
中身の人間が古いままの体質で動き、
惰性で続いているところを刺される。
わかりづらっ(笑)
しかし、劣勢を自ら感じていても
大手メディアは主導権を
渡したくない、奪われたくない。
そこで大衆全体への発信力を利用して
大衆の不完全な発言を切り取り、
揚げ足とりを促すようにあおり続ける。
まだ我々が主役だという立ち位置を
取り続けようとしてくる。
このわがままな抵抗も私たちの社会が
うまく前に進めない一因となっている。
いまはまだ移行期間の途中ですよね。
さまざまな副作用が出ている状態で、
生みの苦しみを私たちは
甘受しなければならないのだろう。
個人が個人を責め立て、
外野が面白がってちょっかいを出す。
それをメディアが鉄砲で打ってさ、
煮てさ、焼いてさ、食ってさ・・・
なんにも前に進まないカオス。
私たちの社会は近い将来、
どこに向かって着地点を
見いだしていくのだろうか。
それとも延々と、炎々と
怒りを引きずったまま、
なんにも変わらないのだろうか。