う~ん、GoToについては
それぞれ考え方があるんでしょうけど
メディアがGoToで観光に訪れて
いるであろう人にインタビューを
する必要、ホントにあるのか?
観光客は行きたくて行っている。
楽しい気持ちだったり、幸せそうに
満足気な表情や声で発言するのは、
よく考えたら、当たり前なんです。
でもそこを切り取られて報道される。
自粛している人や感染リスクに対して
快く思っていない人が観ると・・・
ちょっとマイナスな感情を持つ。
このご時世に、笑いながら楽しみやがって。
持ち込んだらどうしてくれるんだ?と
憤慨したりもするでしょう。
少なくともそういう感情が持ち上がる。
人間ってそんなに割り切れないですよ。
自分ができていても
他人ができていないこともある。
他人ができていても
自分ができていないこともある。
すぐに自分の基準と比較して優劣。
すぐに他人の基準と比較して優越。
これは人間のサガであり、至言でしょう。
自分で思いついたけど誰か言ってそう(笑)
コロナという状況、私たちは再確認したい。
あらゆる場面で、再確認しながら
一度考えて、想像してみること。
通常のやり方を安易にしてしまうと
どういう影響があるのか想像する、
いつもと違う意識が必要だなと感じる。
実際に安易にいつも通り、してしまっている。
観光客が第三波のなかで訪れているのを
ニュースや報道をナーバスな感情で
見聞きしている人の立場を考えると・・・
メディアの側も「報じる」ことの意義を
コロナ前と同じスタンスでやってしまう。
伝える側のちょっとした優越感があって、
選民意識と、報道する正義感に酔いがち。
報道すべき意義と自己陶酔とが
入り混じっているのかもしれない。
メディアが簡単にできることは、
観光客が訪れていますと報道し、
インタビューをしない。
インタビューする映像や声。
いまこの時期においては
あえて、伝えなくてもいい。
訪れていますと伝えることだけ、
遠巻きから様子を伝えるだけ。
それで「いまは」じゅうぶん。
どうしても自分たちのマチを
訪れてくれた人の感想を、住民に
イイ声、イイ反応を聞かせたい。
地域の住民が喜ぶと思ってやっている。
いま、住民が素直に喜ぶと思います?
違うんですよ、コロナ禍は。
インタビューをしないことも
ソーシャルディスタンスである。
もちろん物理的な距離感もだが、
いつも通りにしすぎない距離感も
大事なんですよ。
誉め言葉を欲しがったりするけど、
それはコロナ前であって
コロナ禍のいまは、やらなくてもいい。
伝える使命でもないし、
伝える理由にもならない。
あえて伝えないやさしさや意味も
あるんではないか?
騒ぎが大きくなるときって、
騒ぎを実際に自分の視覚に入れて
自分が意識したことで、大きく感じる。
血が出てる状態を視覚に入れる前と後、
みたいな、より強く感じてしまう作用が
はたらいているように思うから。
なんでもかんでも伝えりゃ
いいってもんじゃありませんよ。
一流、メディアさん。