昨日なんとかして観ました。ええ。

 

人って、ああいう違いも出るんだなぁと。

 

 

対照的に見えたのは甲本と天海のふたり。

 

それぞれ別の相手との対談形式だったが、

 

より甲本の菩薩感が際立ってしまった(笑)

 

 

ワタクシもブルーハーツは「世代」の人間。

 

しかしなんだ、あのすべてを包み込む笑顔(笑)

 

ストレートってこんな強いんだって思った。

 

 

受けを許した甲本、受けを許さなかった天海。

 

やわらかい甲本、かたい天海。

 

ずっと敬称略でいきますよ(笑)、すまんけど。

 

 

やわらかい、の甲本のほうは

 

「ひらがな」がバチっとくる。

 

どんな距離感でも相手をやわらかく。

 

すべてひらがなで、シンプルに受ける。

 

 

かたい、の天海のほうは

 

「全部漢字」の、かたいに見えた。

 

固い、堅い、硬い、難い。

 

観た人にはこの感じ、わかると思う。

 

 

私たちがコロナであってもなくても、

 

生きるヒントになるのは、甲本。

 

そしてどんどん生きづらくしている

 

象徴的な詰まり方をみせてしまった天海。

 

 

職業柄、さらけ出しやすいほうと

 

そうでないほうの違いもあるのだろう。

 

 

自分を信じてつくりこむ過程に、

 

向き合ってきたであろうことは

 

二人とも変わらないとしても。

 

 

違いが出る理由は、

 

職業を超えた、人かどうか。

 

甲本はもう歌うことが楽しくて

 

職業の先を、上にいっている感じ。

 

 

向き合って、苦悩もあったけど

 

仲良くなった自然な関係を紡いでいる。

 

衰えを自然と受け入れ、許している感じ。

 

 

天海は職業を憧れ、やりたいことから始めて

 

その後、「職業柄、〇〇」に縛られている。

 

良くも悪くも。

 

 

演じることは、要求されることを体現すること。

 

だから自分を出すことと演じることの

 

ジレンマはあるんだろうなぁ。

 

演技と自分とを俳優業を続けるかぎりは

 

悩み続ける仕事なんだろうなぁと。

 

 

解放できない苦しさ。

 

私たちの社会はいま、天海型を極めようと

 

しているように感じませんか?

 

 

全部を背負い込んで、全部に答えるべく

 

全部に応えようとしすぎている。

 

 

ネットやデジタルやらなんやら。

 

せわしなく続く日常と戦う天海型。

 

「闘って」はいるんだろうけど、

 

自分のリズムに到達している甲本型。

 

 

ワタクシも以前、歌うことについて

 

ちょっと書いたことがあったが、

 

似たようなことを甲本も考えていた。

 

 

歌詞だけど、歌詞じゃないみたいな。

 

ただ歌いたくて、逆に歌詞を見ないことで、

 

自分に対して可視化して入れないことで、

 

自分の言葉として、自分の歌の歌詞を

 

降ろしてくるような感覚。

 

伝わるかな、うまく書けないな(笑)

 

 

こうしたらいいとか、

 

ああしたらいいとかじゃなくて。

 

逆にこうしない、ああしないから

 

見えてきた感覚や考え方みたいなね。

 

 

おそらく世代の人間であるワタクシや

 

同世代もそうだろうと思う。

 

自分をつくりたいけど、その途中で

 

こうする、ああするに縛られて生きている。

 

 

でもやっぱり、そうじゃなくてもいいよと

 

甲本は私たちにわからせてくれたような。

 

 

ネットやデジタルな時代は、

 

こうする、ああするに縛られる。

 

 

大事なヒントになったし、

 

自分の方向付けの確認にもなった。

 

 

甲本型を見たことで、天海型に

 

なんの疑いもなく向かっていた人は

 

大きな気づきを得られたのではないか。

 

 

つくりこまない、つくりかた。

 

つくりを超える、つくられかた。

 

何かを感じた人はたくさんいる。

 

 

やわらかいあたたかさだけが、

 

じんわりと手に残っている感じ。

 

大切にしていこうと思う。