鬼滅の刃ならぬ「決めつけすぎの刃」

 

振りかざすのはもうやめるべき

 

時期なのではないか。

 

 

実は、もう私たちは微量ながら

 

ウイルスに随時、感染していて

 

抵抗する免疫力をわずかながら

 

体内に学習して持っているとしたら?

 

 

私たちのからだには菌が常駐していて

 

それぞれがうまく働きながら守っている。

 

 

おそらく体内は、私たち人間の心よりも

 

柔軟に学習して、戦っていくのだろう。

 

 

そうではないと、人間がこんなに

 

長生きできないでしょう。

 

 

人間はいま、まだよくわからない

 

ウイルスを相手にしているわけで、

 

目に見えないぶん、体内には

 

完全にゼロだとは

 

言い切れないはずなんですよ。

 

 

微量ながら体内に取り込んで

 

すでに感染の有無でいえば、

 

「有」な人も潜在的に多いと思うんです。

 

ゼロイチで言うとね。

 

 

だとすれば、新規感染者の拡大において

 

殊更に数字を強調されてきた半年以上の年月。

 

 

数字で追うのではなくて、

 

感染している状況での

 

私たちの体内でおきている

 

途中経過というか概要を知らせる、

 

これが一番適切なのではないかと思う。

 

 

これまでもそうですが、

 

体内に入って感染してしまわないかと

 

嫌って避けてばかりいて、

 

怖がって向き合っていないんです。

 

 

たとえ仮説の状況だとしても、

 

研究によって得られた情報について

 

みんなが知る機会をいち早く

 

増やしていくことのほうが重要。

 

 

約1年になろうかとしているいまも、

 

感染者の数字に不安や恐怖の感覚が

 

私たち人間を一番混乱させること。

 

これ、学習できたはずですよね。

 

 

感染者数を追わせる報道によって

 

感染者数で不安や警戒感を強めるより、

 

具体的なウイルスの研究の途中経過でも

 

いいから学ぶ機会を増やすべきではないか?

 

 

どうしてもいまの現状だと、

 

こうしていれば私たちは感染しない

 

みたいな感覚を前提にして考えてる。

 

いや、違うよと。

 

 

感染しています、微量ながら私たち。

 

それが身体に異変となって現れているか

 

現れていないかの違いなんです。

 

 

という前提でマナーとして飛沫等の

 

感染防止に「極力つとめる」ために協力しあう。

 

 

体内では未知のウイルス侵入に

 

抵抗しながら戦う常駐している菌の集団。

 

 

彼らの戦いをサポートするために、

 

私たち人間が何をすべきかを考えて

 

実行することのほうが重要ではないか?

 

 

体外では数字に右往左往しながら、

 

心の不安ばかりを増殖させ続ける。

 

 

どちらが不甲斐ない?

 

どちらが情けない?

 

 

もっと落ち着くべきだと思うんです。

 

最先端の技術や研究の成果を

 

なぜもっと有効に活用できないのか。

 

 

新規感染者数で動くのではなくて、

 

既に感染者であるテイで動く。

 

情報に左右されやすい私たち人間が、

 

どうマインドセットして動くか。

 

 

そこをきちんとみんなで話し合う。

 

まずはそこでしょう。

 

 

政治家もそこをきちんと国民に

 

伝えるべきだと思います。

 

 

不安が不安を呼び、日本人は

 

混乱してしまうからダメだと

 

決めつけすぎではないか?

 

 

過保護を過保護で守るのではなく、

 

覚悟を覚悟で支え合いながら、

 

責任ある1人の人間としてみんなも

 

戦うんですよ、と伝えるべきです。

 

 

そうしないといつまでもだれかの

 

傘の下で守ってくれることを期待して

 

待つしかできない人間ばかりになる。

 

 

政治家も「決めつけすぎの刃」を

 

おろさなければ、この国も国民も

 

変わっていけないのではないだろうか。