根本的な問題として、

 

日本人は私たち自身で

 

協力しあいながら、

 

このコロナ禍の状況を

 

立て直そうという気持ちが

 

ないのだろうか。

 

 

個々人はおそらく気持ちはある。

 

しかし、その気持ちが全体として

 

うまく機能していかない現実。

 

 

だから、みんな自分のために

 

家族のために守りに入るという、

 

悪循環に陥っていく。

 

 

単純に出費を控えれば控えるほど、

 

倒れるところが増え、全体が困窮する。

 

これらも全部、気づいている(笑)

 

 

高度に複雑に絡み合いすぎた結果、

 

自分たちがお金をつかっても、

 

他者や他社が、潤っている実感が

 

いまいち感じ取れない社会環境だから。

 

 

それがシンプルに答えっぽいかなと。

 

そう、経済を回せと声高に言うけれど、

 

回していることでの実感がないと

 

みんな、やろうとしないんですよね。

 

 

ネットで買ったものは自分には届くが

 

お金が回っている感覚からは程遠い。

 

 

極端に言えば、ネットを介したものや

 

デジタルの産物の方向へシフトしていくのは

 

実は、逆効果なのではないか?

 

そういう予測も見えてくる。

 

 

若い人だけでなく、結構な年寄りもいる、

 

ネットゲームに惜しみなく課金する人も

 

回っている実感は薄いだろうなと思う。

 

 

デジタルにすればするほど、

 

ボーダレス化は進むんでしょう。

 

可能性は広がるんでしょうけど、

 

「ゆくえ」が見えなくなる。

 

 

これって結構、芯喰ってると思います。

 

 

お金を、自分たちが見える「手元」で

 

回す感覚を取り戻す。

 

ネット上、クラウド上などの

 

頭のはるか上で回る現状では見えにくい。

 

 

こういう状況でお金を回す感覚を

 

実感させるにはどうしたらいいか?

 

 

コロナ前の感覚を引きずっている

 

私たちが注意すべきポイントであり、

 

打開するポイントになると思うんです。

 

 

お金が回る環境をシンプルに

 

可視化ができればいいんですよ。

 

 

個人のお店ばかりで構成されたマチを

 

想像してみてください。

 

各業種がバランスよく並んで構成された

 

ひとつのコミュニティ社会があるとする。

 

 

そこで現金(硬貨や紙幣)のみで

 

売買していくルールで

 

お金を回していく生活、社会を想像する。

 

 

どうでしょう?それぞれが売り上げた

 

お金で生活し、そのお金を別のところで

 

消費しながら使っていく。

 

 

お金のすごろくのマスが進むような。

 

お金が回る感覚がつかめてきそうな気が。

 

 

ネット空間に放出されて飛び交うお金、

 

マチの流れの中で消費し合って流れるお金。

 

ちょっと違う感覚になるでしょ?

 

 

たぶん、このお金の流れが感覚的に

 

わかることが大事になってくる。

 

数字だけが「勝手に」動くような

 

いまの社会インフラの流れと逆行します。

 

 

コロナ禍によってわかったのは、

 

通常通りの感覚で進めようとすると、

 

どうやらうまくいかないのだろう

 

という予感めいたもの。

 

 

そして「じゃあ、どうする?」という

 

方針の決定をも国や行政に委ねていると

 

一向に前に進まないで時間ばかりが流れ

 

倒れていくことが想像できている。

 

 

じゃあ、どうすればいい?

 

自分たちで動くから国でサポートしてよ。

 

それが一番効率が良いし、主体性を持てる。

 

 

このやり方って、いまと全くの真逆でしょ?

 

だから逆に機能する可能性が高いと思うんです。

 

 

おそらくこういう真逆のチャレンジが

 

もしかしたら功を奏するのかもしれない。

 

 

単純ではないことを、複雑だからといって

 

複雑さを紐解いてやるのが知識での発想。

 

 

それでうまくいかない見込みが見えているなら、

 

単純ではないことを、単純に真逆で発想する。

 

押してダメなら引いてみな、ということ。

 

 

意外とシンプルな発想のほうが、

 

未来の扉が開くのかもしれませんよね。