新しい働き方、というが

 

本当に必要なのは働かせ方ではなく、

 

働く人の人生設計ができるだけの

 

組織のデザインの仕方ではないか。

 

 

働かせ方を変えてみても、

 

仕事に合う必要な能力がなければ、

 

使ってもらえなくなる。

 

 

判定の仕方は変えていない。

 

つまり、奥にあるカラクリやルールは

 

まるで変わっていかないしくみのまま、

 

目先を変えてごまかすだけ。

 

 

私たちは生きている限り、

 

加齢と闘いながら賃金を確保して

 

生活していくための道すじを

 

見据えながら働かなくてはならない。

 

 

ここに未だに光を射すアイデアが

 

出てこないでしょう?

 

 

目先を変えているだけであって、

 

働かせるけど人生設計を考えてみても

 

十分な賃金が得られない。

 

 

そこは変わっていかない現実に、

 

遅かれ早かれ直面するだけなんです。

 

 

使う側にポジション取りする人は

 

これまでと変わりなく安定を確保して

 

回していこうとするでしょう。

 

その器量すらない人も多くいますが。

 

 

必要な労働力として人材を求めて、

 

私たちは労働者のためにできることに

 

取り組んでいますとアピールする。

 

 

しかし、自分たちのセーフティリードを

 

保ったまま進めようとします。

 

その特権にありつける人は労働者全体を

 

見渡しても少ない、勝ち組だけになる。

 

 

いまいじって整えているのは、

 

法律に合うように目先の働き方。

 

近視眼的な部分だけですよね。

 

 

働く人が歳をとればできなくなっていき、

 

できなければしょうがないですよね、と

 

そこで契約が終わってしまう。

 

 

働く人が家族を持ち、育てながら

 

あらゆるライフイベントに対応しつつ、

 

必要な経済力をつけたくても、

 

十分に蓄えられないのならば、

 

結果的に限界が見えてきます。

 

 

構図としては非正規を増やして

 

乗りきった時と変わらないんです。

 

 

非正規が10年、20年経ったいま、

 

どんな生活がデザインできていますか?

 

 

かなり苦しいまま、年齢だけがかさみ、

 

ライフイベントに必要な経済力を

 

高められていないですよね。

 

 

自分ひとり、生きていくだけで精一杯。

 

コロナ禍で自分すら厳しくなる。

 

 

国は法律に定めて、本人が生きていく

 

ために雇い続けなさいと、するでしょう。

 

 

ただ、本人とは単独の1人のみが限界。

 

家庭を持ち子どもを授かり、その先も

 

暮らしていくことをまかなえるのか。

 

結果として少子化問題ともリンクする。

 

 

しかし、企業にも投げっぱなしで

 

人件費がかさむだけで苦しくなる。

 

 

そう、そこからどうするか?なんです。

 

 

企業側が変わらなければならない、

 

そう言うのは簡単だ。

 

 

しかし、根底にあるしくみを

 

変えていく流れをつくらないかぎりは

 

企業に継続しながら利益を出し

 

労働者を囲い続けてゆけ!というのも

 

かなりリスクがある。

 

 

人材の人生すべてを背負い込むことが

 

できないからこその、非正規雇用だった。

 

 

昭和のころは右肩上がりで

 

認め続けた待遇。

 

相手はいつもそれ以上を望み続ける。

 

過去の者から先着順に優先してきた。

 

いつか苦しくなると知りながら。

 

 

限界が見え始めたらロケットの切り離し。

 

非正規を増やし、メインロケット死守。

 

いつでも着脱できるようにした平成。

 

 

令和はさらなる小型ロケットにするか、

 

ロケット、もう誰でもつくれるよね?って

 

流れにしていくのか。

 

 

結局、同じシステムのほころびを

 

いつまでもツギハギしていても、

 

これからも限界が見えているだけで、

 

目先のその場しのぎなんです。

 

 

結果的に長生きしすぎになった人生を

 

デザインしていくには、もう過去の

 

ツギハギでは対応しきれないでしょう。

 

 

だからこそ前例にとらわれない発想が

 

必要になってくるんです。

 

 

その場合、法律に基準をおくと

 

必ず八方塞がりになる。

 

いつもここで止まって先延ばしにして

 

仕方がないとなってしまう。

 

 

私たちにできることは、

 

前例に法律に、とらわれずに

 

解決するために考えること。

 

 

まだみんなで考えきっていないんです。

 

本気で前例や法律を取っ払って考えて

 

それでもダメなら、初めて

 

仕方がないと言えるのではないか。

 

 

いつの時代も常識の枠から

 

飛び越えた発想を意識してしないと

 

新しい扉は開かないし、

 

扉があることにすら気づけない。

 

 

頭のいいヤツばかりが

 

法律をこねくり回して出した答えは

 

セーフティリードを保ったものばかり。

 

 

各自が集まりアレがダメ、コレがダメと

 

主張しても、それはそれで前には進まない。

 

 

できると仮定したところから、

 

逆算していき、何が障害になるのか。

 

障害を取り除けば道は拓けるのか。

 

そういう逆算の話し合いが必要なんです。

 

 

勝ち組たちは容易に降りてこないでしょう。

 

だからこそ国は間に入りつつ、

 

議論が進むように司会者的な回し方が

 

できなくてはならない。

 

 

回せる人材がいないなら民間に頼ればいい。

 

逆にキレモノの芸能人とかの方が、

 

うまく議論が進むかもしれない(笑)

 

 

そうやって、いままでやってこなかった

 

手法であえてやらなければ、

 

もう前に進むことはできないまま、

 

またフリダシに戻るばかりになる。

 

 

何年やったら気が済むのか。

 

ホントはこういうことを

 

「社労士として」やる夢を描いた。

 

できませんでしたけどね。

 

 

こういう資格業界では

 

「資格のなかで動く」というバイアスが

 

大きくかかってしまうので、

 

次第に飼いならされてしまうだけ。

 

 

後悔なくやりきるには、

 

中で飼われてからでは遅いんです(笑)

 

同じ枠に飛び込んでいく連中は

 

毎年いるんでしょうけど。

 

 

ワタクシはそこに光を当てながら、

 

新しい流れをつくるために

 

何でもいいから一石を投じるべきだと。

 

そう考えていたりもする。

 

 

そのためにまずは、

 

ワタクシ自身の発言力の強化と

 

ブランディングなんですよね(笑)

 

 

そこが大きくならないうちは

 

伝わっていかないから。