私たちはどうやら、

 

時既に遅し、ということに

 

敏感じゃない気がします。

 

 

議論を経て過半数の賛成を得て。

 

そうしている間に、いつも

 

時既に遅しという事態を

 

甘受しなきゃならなくなる。

 

 

社会問題だけでなく、

 

あらゆる場面で事態を好転させたいなら、

 

過半数を待つ前に動かなければ

 

間に合わないことがたくさんあるよな

 

って思うんですよ。

 

 

コロナ禍の中小企業をどうしたいのか。

 

国会中継でいろいろとやってました。

 

ちょっと時間経ったネタですが(笑)

 

 

たしかに助け方がヘタで、

 

スピード感がないため、

 

結果的に体力がなくなり

 

淘汰されていくのだろう。

 

 

もともとの構図を考えれば、

 

交付金等を出したくないのか、

 

出したいけど合致するものにしか

 

出せないという法律の問題なのか。

 

 

ホンネは両方だろうと思う。

 

 

政府は全部出すとなると

 

財政も破綻するリスクを大きくしてしまう。

 

全部を認めるわけにはいかない。

 

 

そして多くの企業側は現状維持を望む。

 

現状維持とは何か。

 

 

時代に合わなくなっていても

 

これまでと変わらず、これからも

 

同じ事業内容で展開していく。

 

 

そうするしかない、

 

生活に困ってしまう、

 

だから支援してほしい。

 

という立場の中小企業。

 

 

積極的になれるタフな年齢でない

 

後継者問題を抱える事業主も多い。

 

 

すでに同じパターンで通用しない。

 

それがわかってきているなかでの

 

コロナ禍で、より体力を奪われていく。

 

 

でも新しいことをすることなどもできず

 

どうすることもできない立ち往生の事業も

 

あるのだろうと思う。

 

 

事業主側が自分たちはこうするから、

 

こうするための財政的な支援をしてくれ

 

と言っても精査したうえでないと

 

出せないしくみでしょう?

 

 

政府は、こちらに合わせろという。

 

言わないまでも合わせなきゃ認めない。

 

 

結局、法律に合わなければ出せない。

 

間違いのないようにするために、

 

慎重に精査して決定をする長い道のり。

 

 

スピード感と体力。

 

時間は等しく流れる。

 

 

全部を助けられはしないという

 

暗黙の了解にぶら下がりながら

 

淘汰されていく事業が出てくる。

 

 

一度決めたことをくつがえす、

 

形式にとらわれず柔軟に対応する、

 

ということ。

 

 

そして、私たちが考えている以上に、

 

早いタイミングで事を進める決定を

 

すべきだということ。

 

 

結局はそこがポイントではないか。

 

根拠に縛られ続けのまま前に進むには、

 

負荷が積み重なり過ぎたのだろう。

 

 

バランスを崩したままでアンタッチャブルな

 

常識が私たちに重くのしかかる。

 

 

国際的に問題があるならまだしも、

 

国内のことに限るのであれば、

 

私たちはどんなときであっても

 

「守るべきこと」に縛られるべきなのか?

 

 

決めたあとに必要な修正があれば、

 

その時点で最良の判断をすべきときも、

 

私たちは法律に屈服すべきなのか。

 

 

その判断に責任を負わせようと

 

足の引っ張り合いをしながら

 

あら探しをしあう関係を続ける。

 

 

前に進めないのならば、

 

私たちの社会は間違っている

 

と思うのは、可笑しなこと?

 

 

間違っていないけど、できない。

 

それで「納得させよう」と

 

各自、思い込むだけではないのか。

 

 

私たちにはこのやり方しかできない、と

 

同じ事業しかできないと主張するのも

 

気持ちはわかる。

 

 

しかしそこを理由にしてすべてを止めて

 

前に進めないでいるだけでは、

 

やっぱり体ごと預けすぎだとも思う。

 

 

時代の大きな転換期にいるということ、

 

これまでと同じでは淘汰されるしかなく、

 

リセットするか、新しく前に進むか。

 

いずれかの腹をくくる時期なんですよね。

 

 

リセットするとしても、それまで築いた

 

技術や知恵、その他もろもろを

 

社会的に継承していくために

 

協力できることもある。

 

 

そういうアドバイザー的な立ち位置で

 

中小を問わず、協力していく流れを

 

新しいスタンダードを前に進めるために

 

つくっていく必要もあるのではと思う。

 

 

中小同士が協力しながら、2つが1つに

 

あるいは3つが1つになって協力しつつ、

 

継承していく選択も考えられるはずだ。

 

 

こういったことを地域で話し合い、

 

それぞれが主体性を持ちながら、

 

強力して継承していく流れをつくろう。

 

できそうな気がしませんか?

 

 

リセットする者は相談役的な立場に、

 

新たに前に進む者たちとも協力しながら。

 

 

個人個人の単独や単体で考えずに

 

社会全体、地域全体として協力していく

 

流れを当事者同士で話し合いながら

 

前に進むべき時期なんだと思いますね。

 

 

これらをおもいきって試す価値はある。

 

ここのポイントは、

 

相手も自分も腹を括るから、一緒に

 

とにかく前に進めようとすること。

 

 

そして彼らを経済的にもサポートする、

 

支援先行型の体制をつくること。

 

 

もちろんこれもつくってからでは、

 

遅いんですよね(笑)

 

動かしながら、修正させながら、

 

前に進めるんですよ。

 

 

食料を自分たちの分だけ貯めこんで、

 

食べるのに困らない安心を第一に求める。

 

 

食料を分けようとしないで、各自が

 

自分で調達して自分で守るしかないんだと

 

思い込んで早や半世紀。でしょう?

 

 

この食料は何もホントの食料だけではない。

 

支援や資金、経済的、技術的サポートも

 

同じことがいえるはずですね。

 

 

企業同士でも、行政と企業でもそう。

 

尻すぼみで確定的なら、前に出るしかない。

 

 

しかし皆、その一歩が出ない。

 

皆が合わせて一歩踏み出すのと、

 

単独で一歩踏み出すのでは、

 

まったく違うのではないか。

 

 

いまはみんな、行政が示すとおりに

 

足踏みと後退を繰り返しながら、

 

後手を踏み続けるだけで進まない。

 

 

時機を逸した時にようやく、

 

支援の手がジワジワと回り始める。

 

そう、時すでに遅し。

 

 

チカラを100%出せないしくみを

 

原因を知りながら、決断できないまま、

 

時既に遅しの政策を私たちは、

 

淡々と受け止めるだけになっている。

 

 

やはり、何かを動かすべきときは

 

通常どおりの常識とは、

 

ちょっと違う感覚で、

 

ちょっと違う関係で、

 

進める決断を、ちょっと早めに

 

しなければならないのだ。

 

 

飛び越える勇気と

 

失敗しても我慢強く支え合う、

 

もっと次につながる、前に進める関係を。

 

 

そういうチャレンジを補い合う関係を

 

つくれたらいいのに。

 

 

ポジティブで主体的な進め方が

 

できるような希望が持てれば。

 

 

私たちは本当の、心からの笑顔に

 

なれるのではないだろうか。