季節の変わり目は、古傷が痛む。

 

毎年の通過儀礼みたいなもんになってます。

 

ちなみにワタクシは腰なんですけどね。

 

 

腰をやったことがある人には

 

わかってもらえるんですけど(笑)

 

なかなか伝わらないのが難点で。

 

肝心かなめの腰ですからね。

 

 

筋肉で支え続けないといけない。

 

その筋肉の維持も、意識的に続けないと

 

維持できないという年齢にさしかかる。

 

 

最近はもう年齢がかさんでくると

 

何かともとに戻るのが遅くなる。

 

維持できなくなる。

 

 

無理せずできたことが、

 

こんなにもチカラが要る。

 

そしてできなくなっていく

 

自分を想像する。

 

衰えて動けず、ただ動かない自分を。

 

 

近所の老人をいたわるようなまなざしで

 

見ていた自分、自分があの老人になるのだと。

 

 

たぶん、全体的に怖くなるんでしょうね。

 

自分が維持できなくなることを受け入れられない。

 

いま、お金をかけて維持している人ほど、

 

人一倍、怖がってるからだともいえる。

 

 

いや、違うか。

 

怖がっているんではなくて、

 

真剣に向き合って維持しようとしてるだけだと

 

主張する人が多いのかもしれない。

 

 

年をとれば、みんなが通過する地点で

 

あらためて「自分事として」受け止める。

 

そうか、年を取るとはこういうことなのかと。

 

 

若いころに言われたことは、届きづらい。

 

他人を見たり、話として聞いたりしていても、

 

ホントのところ、いまいちピンときてないし

 

実感がないままの受け止め方をしている。

 

 

信用してないとかじゃなくてね。

 

先のことを後回しにしがちな人間にとって、

 

成果が20年、あるいは30年後に出ることなど

 

容易に続けられるわけがない(笑)

 

でもそこなんだよな、っていうね。

 

 

アドバイスくれる人も

 

もちろん実感タップリに話してくれる。

 

ちょうどいまワタクシが書いているように

 

熱っぽく伝えようとしてくれている。

 

 

しかし、ほとんどは立て板に水状態。

 

そこの失敗も通して経験してこそ、

 

人間は後悔を知る。溜めに溜めて味わう。

 

 

いずれ腰だけでなく、手足、目、耳。

 

スムーズさを失っていくんだろうという不安。

 

むかしのようには何もかもうまくは・・・。

 

 

そのうち衰えの不安を無くそうとする

 

技術向上によって、人間はダマシダマシで

 

和らげようとするんでしょうね。

 

 

いつまでも元気で快活に過ごしたい!

 

っていうのはもちろん素晴らしいこと。

 

でもね、最近はムリにあらがうのも

 

なんか違う気がしてきている自分もいる。

 

 

受け入れつつ、できることをという

 

老化受け入れつつの、維持スタンス。

 

 

たぶん、みんなコワイという不安が強くて。

 

自分の記憶のなかではスゴイ動けてる自分が

 

すぐに脳内再生されますからね。

 

自分が一番、動けていた自分を

 

脳裏に焼き付けてますから。

 

 

年を取るにつれて、からだが動く喜びを少しずつ

 

実感していくようにできているんだろうな。

 

難なく動くときは、何も感じないように。

 

 

人間は日々、反省を促されている。

 

おそらくちょっとずつ、通常では

 

気づくか気づかないほどの。

 

 

あまり良くしようとしすぎてもダメ。

 

ジムに通ったりいろいろしながら、

 

やってる感を得るだけでもダメ。

 

 

たぶん、各人が各人のレベルで

 

やれる範囲で筋肉を動かし続ける

 

普段の、そして不断の努力の習慣化。

 

ポイントはそこなんだろう。

 

 

ジムにいかなくたって、その場でストレッチ。

 

マシンが無くたってなんとなくからだに

 

楽をさせないように負荷をかける。

 

 

いまはもう、ラクできることが

 

あふれすぎてるから。

 

意外と難しい、誘惑にあふれている日常。

 

 

昨日したことを、今日も続ける。

 

地味で成果がすぐに出なくても。

 

今日も続ける、明日も。あさっても。

 

忘れがちなカンジンカナメの至言です(笑)