私たちの日常は常になんらかの

 

審査会場の様相を呈していると

 

感じてしまうのだか、如何だろうか。

 

 

ネットニュースの閲覧にはだいたい、

 

誰かがコメントする欄があったりする。

 

 

ネットは審査会場。

 

なんでも審査会場を通過させようとする。

 

そんな構図がそこかしこに。

 

 

発言者Aは自分の意見を述べる。

 

コメント欄は、まとまりのない

 

選ばれたわけでもない審査員。

 

評価したがりが、したり顔で居並ぶ。

 

 

この構図で審査員は自分の意見をぶつけ、

 

自分越しのフィルターで、評価しようと、

 

時には称賛し、時には非難して。

 

責任のない感情を吐露している。

 

 

一部の見解にすぎない意見を

 

メディアがエサとして、ネタとして、

 

まるで国民の総意のような切り取り方で

 

取り上げ、広めてしまう。

 

 

これまた、したり顔でウマい汁をすする

 

行儀の悪さを彼らは、恥とも思わない。

 

 

なんなら、発言者Aは当事者ではなく、

 

関係のないライターだったり、

 

数多いる程度の知れない評論家だったり。

 

 

当事者Aの発言を切り取り、拝借しながら

 

当事者Aを介さず勝手な意見を拡散する。

 

 

そういう意見が10あるうちの、

 

2や3程度の割合しかないとしても

 

10であるかのように受け取ってしまう

 

大衆心理を利用しながら、

 

興味をそそらせて閲覧させる。

 

 

おそらくYouTubeもTwitterもそうだ。

 

評価を得て、耳目を集めて集客するため。

 

そういうビジネスモデルが出来ている。

 

 

YouTubeなどは、嫌いだ、ムカつくなどの

 

感情的な評価もあれば、もっとこの人は

 

評価されるべきだ、誰々の真似だなど

 

マニアックなモノシリガオの連中が、

 

自己顕示欲を満たそうとする場でもある。

 

 

そのうち、とりとめのないケンカに発展。

 

エスカレートした感情をぶつけ合い、

 

予想通り、炎上してしまう。

 

いいオトナがすることではないのに、

 

子どものようなケンカを毎日繰り広げる。

 

 

SNS等で炎上させたい人は煽るのがうまい。

 

地アタマの良い人で居場所がないのだなと。

 

おそらくホンネは、寂しいんでしょう。

 

 

自分をうまくつくれていないというか、

 

つくろうとしても何かが立ちはだかって

 

うまくいかないまま、年を取った。

 

潜在的には、「あぶれた人」たちが

 

実は、多いのかもしれない。

 

 

あぶれたとは、何も仕事ばかりでもない。

 

勝ち組になれなかった人もいるだろうし、

 

勝ち組だけど人間関係でうまくいかずに

 

リアルな日常ではガマンにガマンを

 

重ねている人もいるだろう。

 

 

仕事の質や有無の問題での人が多いが、

 

勝ち組だけど日頃うまくいかない人が

 

マウントを取りにわざわざ顔を出しにくる

 

というパターンも多いのではないか。

 

 

もともとは勉強ができて、プライドが高く

 

なんでこんな「失敗」にという感情を

 

受け止めきれない日常をおくる毎日。

 

 

容易に浮上できない構図に押し込められた

 

抑圧から自らを解放するかのように、

 

エネルギーをぶつけようとする。

 

 

ネット上の審査会場に漂流しているのは、

 

そういう行き場を失ったエネルギーたち。

 

 

コロナ禍以前から、酒場で愚痴をこぼし合う

 

そういう機会を減らし続けていたことも

 

影響しているのかもしれない。

 

 

酒場という、ある意味「処理場」で

 

その場かぎりの洗い流すような機会を失い、

 

行き場のないエネルギーを解放させる場を

 

みんなネット上に求めるように流れてきた。

 

 

最初は、日常でもうまくいかない

 

酒場でもうまく馴染めないようなタイプの

 

避難所のような仮想空間だったものが、

 

徐々に行き場を失った人たちも含めて

 

集まり始めたのではないか。

 

 

むかしでいうクラスのイケていない人の

 

密かな憩いの場に、行き場を失った

 

イケてる人たちも入ってきて

 

場を荒らすような感じもあるかも。

 

 

世の中の負のエネルギーが

 

ネット上にかたよる。

 

酒場でビールの泡のように消えた愚痴が、

 

ネット上にいつまでも残り漂う。

 

尾ひれまみれで拡散されてゆく。

 

 

そりゃもう、ヒドイことに

 

なるに決まってる(笑)

 

 

あまりにあらゆるものを健全化しようと

 

クリーンにしようとしたばかりに、

 

日常から締め出しをくらった

 

マイナスの感情のハケグチがそこにできた。

 

 

やっぱり、適度に残しておかないとダメ。

 

自分の目の前を掃除機でキレイにしても、

 

ホコリは部屋の角に手が届きにくい隅に

 

追いやられているだけなのだ。

 

 

マイナス要素を排除しすぎなんでしょうね。

 

人間がすべての悪玉菌を排除しようしても

 

ムリな話でしょ?

 

 

たぶん、それと同じで排除せずに

 

付き合いながら、馴染ませないといけない。

 

排除したい欲と正義感などが混ざり、

 

正当な意見として支持を得てしまった。

 

 

そうするうちに、排除されて行き場を失った

 

マイナスのエネルギーが集まってくる。

 

散り散りになっていれば害が見えないものが

 

集まることで害が大きくなるような。

 

 

これからはコメント欄を設けないという

 

流れになっていくでしょう。

 

酒場→ネット→????

 

 

また私たちは代用品を見つけ、

 

あるいは生み出しながら、

 

漂い続けるんでしょう。

 

排除し続けるかぎりは・・・。