これまで私たちの社会では、

 

さまざまな議論や考えを重ねてきた。

 

 

おそらくワタクシが考えているような

 

社会問題に対するアイデアや発想も

 

過去に先人たちが、似たようなことは

 

一度は考えたことだろう。

 

 

考えもしなかったというのは、

 

ほとんどないと言ってもいいくらい、

 

これまでに誰かが、何かしらの形で、

 

考えていたことだろうと思うんです。

 

 

ただ、それを考えただけで

 

実行に至っていないことが

 

たくさんあるということ。

 

 

これまでにいろんな時代の賢人が

 

考え尽くしてきたことを私たちは

 

時を経て、なぞっているんです。

 

 

実は、人間であればそれほど大差はない。

 

みんなそこを信じられずにいるだけだから。

 

最終的に同じ問題を抱え、同じ悩みに苦しむ。

 

 

じゃあ何故、実行できないのか?

 

そこは先人たちも一番苦しんだ、

 

永遠の課題なんだと思うんです。

 

 

ひとつの打開策として秀逸なアイデアも、

 

「その人だけ」では前に進みませんよね。

 

 

協力者がいて、ライバルがいて

 

切磋琢磨しながら、失敗も重ねながら。

 

ようやく信頼を得て広がりを獲得する。

 

 

共感を少しずつ蓄え、周囲の心を動かす。

 

その広がりを獲得できないと進まなくなる。

 

広がりをつかんだ時に初めて、動き出す。

 

 

人間が歴史を積み重ねていくなかで、

 

天才や秀才、偉人、賢人。

 

これまでも数多の個性があったはずです。

 

 

しかし、その個性に頼り、追従して

 

個性頼みにしてしまうからこそ、

 

実現しなかったのではないか。

 

 

強烈すぎる個性はカリスマ性を帯びる。

 

しかし、そのカリスマ性ゆえに

 

アンタッチャブルな存在になり、

 

それ以上の広がりを獲得できない。

 

 

根本的な原因は

 

周囲が主体性を欠いてしまい、

 

カリスマ頼みにしてしまうからではないか。

 

 

カリスマもそこは視野に入っている。

 

しかし、周囲は保身に走るばかりで

 

次の広がりを獲得するために必要な、

 

化学反応を起こす衝突を避けてしまう。

 

 

若干、分かりにくいかもしれない(笑)

 

広がりっていうのも言い方が難しいが、

 

サーモグラフィーの表示が赤く変わる、

 

そんな感じかも(笑)

 

 

しかし、カリスマがカリスマだけの

 

ポテンシャルだけではどうにもならない、

 

そんな瞬間が必ずあるはずです。

 

バルサのメッシのように。

 

 

その時、打開のために周囲が欲するのは、

 

「カリスマのミラクル」

 

いつまでもココ頼みで、なんとかしてくれと

 

すがっていたからではないのか?

 

 

「頼みの綱」をカリスマに依存しているが

 

その「頼みの綱」を握っているのは、

 

周囲にいるカリスマ以外の人たちでしょ?

 

 

手綱ですよ、タヅナ。

 

綱を握るのも、引くのも

 

周囲が自分たちで打開する意思を持ち、

 

自分たちから綱を引くことなんですよ。

 

綱に、動けと言っても動かないでしょ?

 

 

先人たちも含め、カリスマを活かしきれない

 

周囲の主体性の欠如が原因なんです。

 

 

ここを意識的に改善していかないと

 

私たちはアイデアのページをまた閉じてしまい、

 

カリスマを活かせず、時の本棚に眠らせる。

 

無駄に終わらせてしまう。

 

この繰り返しをし続けてきたんです。

 

 

では、カリスマを活かすには?

 

そう、そこにチャレンジしない限りは

 

何も変わらないんですよ。

 

 

カリスマを活かす段階に進んだときに

 

アイデアの実現、叶うかどうかが決まる。

 

 

これを私たちの社会に置き換えてみると

 

カリスマを仮に、政治家や官僚、公務員。

 

というイメージをすると、

 

 

周囲の私たち大衆は、カリスマに

 

なんとかしてくれ、仕事なんだから、

 

税金でメシ食っているんだからと、

 

投げっぱなしにしてしまっているでしょ?

 

 

この構図、同じじゃないですか?

 

その頼みの綱を握るのは私たちでしょ?

 

 

だとすれば、任せっきりのシステムや

 

現状の意識の延長上では解決できない。

 

私たちが主体的に動かし綱を引かないと

 

打開できないんですよ、きっと。

 

 

ワタクシはそういう意思を持った人たちが

 

ひとりひとりが主役となって展開し、

 

意見を闘わせることを拒まない集団が、

 

現状の打開のために必要だと思うんです。

 

 

誰かに依存してついていくのではなく、

 

同列に並んでそれぞれの意思で、

 

前に進むような取り組み方。

 

 

そのほうがたとえ分裂しても、

 

それぞれの核がまた独り立ちして、

 

新たな取り組みが始まるような。

 

そんな気がしてるんですよね。

 

 

ちなみに政治色、宗教色は自分の中では

 

いっさいないんですけどね(笑)

 

知らん人がみたらそれっぽいなぁって。

 

 

ただ、誰もまだやってなさそうなことを

 

自分なりに楽しく面白くやりたいだけ。

 

考えたこと、浮かんだことを言葉にして

 

人間の可能性を書いているだけですから。

 

もちろんお金も取りません。

 

情報も取りません(笑)

 

 

こう書くと逆にウソっぽいな~(笑)