なんかのCMでおぼえていないだろうか。

 

日本の算数は、1+2=〇

 

〇を答えよ、という問題を出す。

 

 

ある国では、〇+〇=3

 

3になる組み合わせを考えよ、

 

という問題を出す。

 

 

日本と他国の違いを指摘するCM。

 

これって、なるほどなと思う。

 

 

日本ってたとえば、

 

「1+2+3+4=10」

 

っていうステップで10という答え、

 

完成を築いてみせると

 

みんなが同じ方法をとり、

 

それしか認めなくなる傾向が強い。

 

 

しかも順番を間違えずにまずは1を。

 

そして次に2、そして3、最後に4を。

 

この順番を守って答えとして

 

一つの完成である10に到達する。

 

 

これが理想、最重要のステップで

 

そこから漏れたものは負け組と

 

称されてしまうような。

 

 

称されないまでも、

 

このステップを守って答えを出した人が、

 

勝手に勝ち組意識を

 

自分で持ってしまうから不思議だ。

 

 

手順通りが「気持ち酔い」のである。

 

気持ち酔いというのは何か。

 

 

キチンと手順を踏んで、ミスを少なくして

 

効率的に段階を踏み、目標に到達することを

 

美学のように、その気持ちに酔いしれる。

 

そんなイメージをしてくれたら。

 

 

このアプローチの仕方が潜在的に

 

私たちに染み込んでしまっている。

 

 

手順通りじゃないと不安が募り、

 

焦りをおぼえてしまうような。

 

大抵の日本人はそうなのではないか。

 

 

あまりに手順、マニュアル、攻略法にあふれ

 

その手の書籍が売れるのもやっぱり、

 

自分で出す結論に確証を得られないから。

 

 

そして違うステップに対しても

 

社会全体が違和感を覚えて、

 

どうしていいかわからず

 

戸惑い、避けてしまう。

 

 

結果として受け入れられないままで

 

全体も動かないから、やっても無駄だと

 

思い込むスパイラルにハマり込む。

 

 

判を押したかのように同じであることで

 

安堵して横並び意識を強めていく環境。

 

ハンコをこよなく愛する日本らしいなと。

 

 

この簡単な数式というか、計算を考えると

 

〇+〇=10という場合。

 

本当はいろんなパターンを考えることが

 

できるとわかるはずです。

 

 

10にするためには、

 

パターンは一つじゃない。

 

 

私たちも十分、わかっているはずだが、

 

10の出し方にこだわってしまう。

 

違う10の出し方に違和感を覚えてしまう。

 

 

10にするには、もうおわかりでしょう。

 

1から順に足さなくたっていい。

 

 

最初は5だっていいし、無駄に終わる0も、

 

あるいは5を引いたっていい。

 

 

もしくは足したり、引いたりばかりでなく、

 

掛けたり、割ったりして10にしたっていい。

 

 

いろんなパターンを私たちは想像できるし、

 

そこから創造できるのであると、

 

わかっているはずなんですよ。

 

 

考えてみるとなぜそれができないのか?

 

今更ながら疑問に思うんです。

 

 

たとえば災害時、緊急時に私たちの社会は

 

すぐにでもやるべきことや、

 

優先すべきこともわかっている。

 

 

別に知識がなくても人として当然に、

 

とるべき行動、選択があるのだから。

 

 

緊急時、考えてみてください。

 

緊急時にでさえ、ですよ?

 

 

しかし、法律という手順にとらわれ

 

あとで修正すれば良いことでさえ、

 

不手際を追及されることを恐れてしまい、

 

時間を無駄に浪費して動けずに、

 

結果的に後手を踏み続けてしまう。

 

 

決まっているからと動かせないまま、

 

大変なんだよと法律を大義名分のように

 

言い訳し、スケープゴートにして逃げる。

 

 

日本の社会全体がこのやり方を

 

心の中に根付かせてしまっている。

 

 

私たちはこの心の根っこに潜む問題を

 

意識的に取り除かない限りは、

 

何をやっても変わらないのではないか。

 

 

新しいことに対して、ダメと烙印を押さず、

 

手順通りに縛られないこと。

 

 

社会全体が良くなるための10という

 

答えや希望があるのだとすれば、

 

その10のために10から逆算して考えて

 

10にするために邪魔になる選択肢を

 

取り除くことにチャレンジできないのか。

 

 

手順を頑なに守り打開できないとき、

 

私たちができるのはただただ待つこと?

 

違うでしょう。

 

 

同じ轍を踏み続けながら嘆いてばかり。

 

何も解決しないならどうすべき?

 

 

私たちは10の出し方に

 

こだわる必要はないのではないだろうか。

 

 

10にするとしたら、何と何を足すか。

 

何を引いて、何を補うか。

 

そういう発想の仕方でできること。

 

たくさんある気がしますよね。