かわい子ぶった我が親のしぐさや顔。
自分が子どもの頃は、あまりみたくない。
なんとなくなんだが、そんな気がした。
なんか気持ち悪い、腹立つ(笑)
逆に年老いた我が親のしぐさや顔は
かわいくてもいい、許せる瞬間がある。
実にいい表情だと気づくことも多い。
昭和育ちの人はこの感覚でしょうかね。
より人間らしさに気づくというか。
角がとれて人間が丸くなるような
温かみが出てくる感じ。
人によりけりではあるけれども。
いったんキライを経験しておく。
いったんキタナイを経験しておく。
これによって逆に、いいところが
よりよく見えたりするものだから、
人間、不思議なものである。
若いころは基本的に親のことがキライだ。
子は親の言うことの真逆をやって経験して
親の言っていた意味を反対方向から
教わるかたちになる。
人によっては、ずいぶんと年をとってから。
現役世代だからというのもあり
内外に対して、自分を飾っている。
昭和育ちの親というのは、
いまより数段品質の劣るものによって
着飾り、整えて、闊歩していた。
カッコいいというよりは、
ちゃんと身なりを整える程度のもので、
オシャレとかそういうレベルじゃないもの。
ただ塗りたくるような化粧、みたいな。
だから父親が男の部分をみせたり、
母親が女の部分をみせたりするのが、
子どもの時分の私たちからしたら、
なんだか腹が立ってしまう(笑)
あくまでもお父さん、お母さんとして
見ているからだろうか。
むかしの親はあまり
オトコ感、オンナ感を見せなかった。
それぞれがオトコ感、オンナ感を
捨ててるくらいがちょうどよく、
どんくさいくらいが好感が持てた。
昭和の父、母はそうだったのだ。
かっこよくもない、だらしない
どんくさい感じがデフォルトだった。
生活が整いだして、浸透した平成は
逆のパターンに変わってきたのだ。
オトコやオンナを捨てなくなった。
カッコイイお父さん、キレイなお母さん。
おっちゃん、おばちゃんから
だんなさま、おくさまへ。
上品に成り上がろうとしたみたいな(笑)
この手のビジネスに乗せられて、
品質を向上させ願いをかなえる商品を
生みだし続け、その恩恵を受けた。
「ソトウケ」良くして飾ってみせて、
外見や持ち物、生活スタイルなど
他人が自分をみて羨ましがるようにと
みんなが、こぞって整えだしてくる。
考えてみると昭和の親のような、
「しょうがねえなぁ」(完璧でない)
な環境や日常から気づくことが多かった。
私たちはなんとなく親の叱りの意味を
自分に徐々に馴染ませていって、
一定の経験や年齢になって気づく。
あぁ、そういうことだったのかと。
そしてちょっと怖かったり、
だらしなかったりしても、
時を経て、愛嬌があるレベルに
変わってたりする。
憎たらしかったのが、
可愛くなるみたいに。
本人たち(親)も自分の老いを
なんとなく受け入れる。
社会の環境が洗練される前は、
そんな感じだったのだろう。
しかし、生活が豊かになり
寿命が延びて、便利で品質向上する。
健康を維持できればできるほど、
いまのままを、衰えずによりステキにと。
人間は欲を捨てなくなってきた。
あらゆる欲を手放さなくなってきた。
時を経なくなってしまったのだ。
ある程度の年齢になった
若づくりした女優などをみると
みんな何故か、人間味が薄れて、
サイボーグ化。
「人工的な照り」が出てる(笑)
アレはある意味、異様な光景。
本人たちはよくても周囲には、
そう見えているんですよ。
某歌劇団系出身は特にそうなりがち。
いつか人間は、衰える。
できなくなって、朽ちてゆく。
それにあらがうように
健康維持をうたい、経済を回す核に
衰えを防ぐ願望を担ぎ出し拡大してきた。
その結果は、わがまま放題ができる
裕福な環境と人間性の完成である。
そう、進歩は同時に堕落をもたらす。
平成以降、そんな父親や母親の
ある種の自由を認めるようになった。
離婚率の増加などの原因のひとつだろうか。
そしてカッコいい親、キレイな親を
子どもたちはキラキラした「良いこと」
として受け取ったのである。
いつまでも〇〇な父さん、母さん。
親もそうであろうと虚像にしがみつく。
その維持より手放す勇気が大事なのにね。
一度整えた生活やライフスタイルを
グレードダウンさせるのは容易ではない。
自分が衰えるのを避けるように、
美貌に健康に優雅な生活に投資を
惜しまなくなり、引き際がわからなくなる。
昭和の親世代。
平成の親世代。
子を殴って叱った人間くさい衝突型の親。
子をほめて叱らず否定しない回避型の親。
マイナスを経験させてあげられた親。
マイナスを回避させ続け、助け続けた親。
挫折から這い上がるしかなかった子。
挫折を初めて経験して這い上がれない子。
親の印象がマイナスからプラスに転じる子。
親の印象がプラスからマイナスに転じる子。
将来、なにかと介護して面倒みる子は、
どちらの親を好意的に感じるだろうか。
老いていく親を親本人も子も
なんだか、受け入れられない。
ちゃんとしてた人ほど、
ちゃんとしていられなくなる自分に
落胆してしまう。
落ち込む親を子は見る、初めて見る。
手の差し伸べ方がわからないまま、
助ける一歩を踏み出せないままの子は、
我が親に、何もしてやれないのかもしれない。
以上、なくはない推論でした(笑)
エッセイコンテストのボツネタです(笑)