2010年代あたりからだろうか。
もはや通常運転となんら変わりないと
認識している人も多いだろう。
なんでそんなにネットの反響に、
大手メディアが「すり寄る」のだろうか。
特にSNSの反応に、反応する。
このプライドも何もかも捨てた信念(笑)
これがなければ、もう少し、
いい意味のコントロールが効く。
社会全体が散り散りと垂れ流しに
ならないのではないか。
この流れで各所末端まで
ビジネスが成立しているから。
これが一番だろうと思うが、
詳しいことは知らんので書きようがない。
ただ、この流れを意図的にやめてみると
人間がものすごく暮らしやすくなるのでは?
目には目をで、同じ業界から変わるのが
一番いいとは思うけれど、
同調意識の高い日本人。
そこは期待できないでしょうけど。
それでも、もし万が一にも
思いきってヤホーが徹底的に
SNS追っかけスタイル記事を
意図的に辞めたとする。
そのプラットホーム的な波及効果は
絶大なのは言うまでもない。
一時的には広告収入等が落ちる。
しかし、その馴れ合いビジネスを
捨てた効果はネットメディアを牽引する
大手としてはハクがつくだろう。
ドラマ「半沢直樹」のワンシーンの
「主力、準主力銀行の決定に準ずる」
のような流れが起こるはずだ。
誰だって各所どこかで、
いまの流れはマズイ、と感じてはいる。
しかし、連なりきったビジネスを
止めることはできないからと
流れに身を任せ、責任を回避し続ける。
おそらくどこまでいっても
私たち日本人は
誰かが流れをつくって、
「意図的ナビカセ」を経ないと
その他大勢がなびいてこない、
流れに乗ってこない。
足並みが揃ったときは異常に早く、
整え、その後、精度を上げる。
だからこそ大手がリスクを背負い、
前に出ないと進まないのでないのか。
世界中が「同じアイテム」を得たいま、
どこで差がつくかといえば、
「同じアイテム」を操る人間の個性である。
となると私たち日本人は分が悪くなる。
想像に難くない後手を踏む未来が待つ。
そうなんですよ、いまはそれが
目の前にまで迫っているんですよね。
もう既に遅れをとっていて、
誤魔化しきれなくなる手前まで来ている。
そう言えなくもないのではないか?
しかし、操る側の人間までが、
操られ待ちしている国はどうなの?と。
なんでもそうだが同じものを揃えたら、
あとは何が勝負を分けるか。
言われなくてもわかることなのに。
私たち日本人は潜在的に待ちの姿勢を
崩そうとはしないんですよね。
これは教育上の問題もあるが、
誰かが手を挙げるとみんなが挙げる。
この番手意識の刷り込みが原因。
異様なほどの高感度のリスクゼロの
危機回避センサーを持つに至った。
ビジネス大団円のスタイルが
いままさにコロナによって、
歪められてしまったのだから。
実は逆に大きな変革のチャンスなんです。
私たち日本人が次に向かうためにも
既存のスタイルに固執せずに、
決断を下していくべきだと思いますね。
ヤホーだけでなく各種業界で、
大手が自浄作用を自らの手で
意図的に引き起こさないと、
何も変わっていかないのではないか。