コロナ、感染者が増えてきてますね。
ジワジワと、しかし確実に広がってる。
夏になれば落ち着くなんて話、
いったいなんだったのか(笑)
やっぱりコロナ慣れ、コロナ疲れで
感染対策を取ることがカタチだけに
なって形骸化している感じもする。
基本的に、人と会うとやっぱり
確率が上がるというシンプルな事実。
見えない、わからない。
だからこそ、
私たちひとりひとりが
マスクや手洗い、うがいで
適度な距離を取ることを意識した。
その効果でギリギリのところで
感染を回避しているという
事実もあるのだろうと思う。
見えないだけで。
映画のマトリックス並みに
かわしながら。
場が感染対策を取っていたとしても
利用する側の人次第、なんですよね。
やっぱり感染という部分だけを
クローズアップさせて考えると
人間が、ガマンにガマンを重ねても
それでも失敗してしまうということ。
誘惑に負けてしまうということ(山下)
縦関係で言いづらいということ(山本)
前者はいろいろと思惑がうごめくところで
絶対にいま、スキみせてはダメなのに、
そういう機会に出て行ってしまう。
この時期の心理的な油断の典型。
後者は、世代でしょうね。縦のライン。
気になるけど言えない世代ですよ。
ロンブー淳がいれば違うかったかも?
こちらは心理的な問題もあるけど、
実質的な感染対策の問題。
こちらのパターンは会社や友人関係、
付き合いの上で断わりづらい状況、
一般的にも多いはずです。
言える人を周囲に意図的につくっておく、
そういう配置の仕方ってのも大事ですよね。
勇気を持って云うことも必要で。
会う機会自体を持たなければゼロ。
スキャンダルも感染も同じゼロだった。
でも守って対策とれば大丈夫と
妙な自信で自分を納得させたい。
対策を取ったと理由づけしたい。
たまに楽しんだっていいんだ・・・
これはみんなの心に棲みついている。
私たち人間について感じているもの。
それは、プレッシャーやストレスから
逃れたいという願望があるということ。
大きなポイントなのではないかと。
よくある話で、
困難に直面すると、こんな状況で
笑うとかありえないという人もいるが、
もう笑うしかないよ、という心境もあるし、
緊張を和らげる笑いであったりもする。
事態に直面する自分や空気を慰める笑い。
どっかで自分を許したい。緩めたい。
コロナの見えないストレスを。
温泉につかることも、
タバコ一服することも
実はそれに近い感覚なんですよ、きっと。
そうイメージすると緩和させたい、
解放させたい行動の意味が
なんとなくわかると思います。
仕事や環境からのひとときの解放。
目に見えない緊張を
緩めてあげたい衝動。
それが隠されている気がする。
ひとりでいると不安だから
みんなとつながっていたくもなる。
会っていないからこそ、会いたくもなる。
会えなかったからこそ、
会えた喜びでついつい、
感染予防意識を上回る行動を
してしまったりもする。
人間、たぶんこうしたほうが
いいと思う方向にみんながいくと
ちょっとしたワナが隠されている。
そのワナは油断とか、慢心とか
気づきづらいことが、気づかぬうちに
積み重なって起こる出来事。
油断してないつもりでも、油断を呼ぶ。
関係が近ければ近いほど、油断は忍び寄る。
いま私たちがしたがる行為の一番は、
みんなで寄ってたかって責めること。
これもストレスの解放に近い。
でも、これもワナなんですよ。
この正反対の行為。すべきは
「許すこと」だろうと思います。
上のほうにも書いたとおり、
みんな実は自分を許してるでしょ?
でも他人には正反対の「許さない」が発動。
不思議と正反対の行為が、
私たちの生活のカギになっている。
興味深い問題だなぁと思って(笑)
なんとなくですよ(笑)、なんとなく。
でも正反対のことをして
バランスを調整することが
感覚的に重要な局面もあるなと
常日頃、ワタクシは意識してます(笑)
ミスを責めることで溜飲を下げるが、
実は正反対の許す行為がカギだったりね。
こういう正反対の行為をしがちで、
正反対の行為が打開のヒントに
なるのかなぁと考えてたりします(笑)