今年は特別な夏、ですか。
やっぱり言われなくても
わかってるってことでも、
言わなきゃわからないとき
言ってくれたからわかるとき
あるんですよね。
どうしても通常の夏と比較する。
その気持ちを抑えて自粛してね、
というお願いになるのだが。
おそらくカンですけど、
東京にいる人のほうが
「コロナ慣れ」していて
「自分が感染しているかもしれない」
「無症状の感染者であっても驚かない」
という自覚はあるのに、
普段通りの行動、意識が上回る
システマチックな環境にいるから、
「無自覚な行動の差」が出てしまうんです。
ティック、でもいいですけど(笑)
どういうことかというと、たとえば
人の流れが多すぎて、人の顔なんか
電車のなかや駅の改札、その前後
みないでしょ?(笑)
もう、逆にふだんの人のことなんか
どうでもよくなっていて
それが当たり前の感覚になっているでしょ?
ワタクシもかつては埼玉から都内へ
電車通勤していたのでわかりますが
あの感覚、田舎もんのワタクシは
慣れるまでは腹立ってしかたなかった。
人が多すぎるし、時間通りに行動しすぎだし、
どこか惰性であきらめのような心境へ
気づかないうちに変化していくんです。
それが、「都会の人間」みたいな感じを
自己演出している感覚におちいるというか。
でも慣れた自分自身にもちょっと寂しくて。
人の多さと関心の薄さは比例するんですよ。
そんな日常を過ごして、しばらくして田舎に
帰ったら人が少ないでしょ?そしたら相手が
人のことが気になるのか、顔みてくるんです(笑)
「いちいち顔見るんです、田舎って」(他人が)
これはもう驚きましたね。
自覚なかったですが
他人のことをそんな気にせず、
惰性で日々の行動をしていて
気づかなくなっていたなって。
相手である彼らにしても、
人の顔をみるのは無意識なんですよ。
当たり前の確認作業で。
都会暮らしの人のほうが、
人をみる視線を普段から気にしていないし、
見ていないぶん、田舎にくると
見られていることが気になるんです。
だからそんな心境の違いもあるから、
コロナに感染した人へのストレス反応も
都会よりエゲツナイ状況になると思います。
東京の人からすると過剰反応と思うほどに。
持ち込ませない感覚、守る感覚の田舎と
惰性でどこか達観したかのような都会との
この温度差みたいなものは確実にある。
対策はしていても、感じ取る人の温度差が
まったく違うんですよ、きっと。
自分のまちに、地域に感染者が出たとき
つるし上げるような、個人情報さらしたりと
あからさまな拒否反応やストレス反応をみせた
そんなニュースもあったでしょ?
だから極端な話、東京の感覚のまま
田舎に入ってきてはダメなんですよ。
そこは最低限、東京の感覚で行動しない
という自分自身の行動意識の制限が
必要だと思いますね。
そして、田舎の人は都会の人以上に
拒否反応、ストレス反応を示すんだという
恐怖や不安から、エゲツナイ行動を
とるおそれがありますよ、という
予備知識というか、そうなることもあると
思っておいたほうがいいと思います。
それで気分を害する人もいると思いますが、
田舎の人も自分の感覚では真剣なんですよ。
真剣だからこそ、失礼なことにもなるし
せっかく帰ってきたから迎えてあげたい、
その気持ちと板ばさみになって言えない。
この複雑な感情を察してやってください(笑)
これはね、冗談ではないんですよ。
ほんとに。田舎の人はこの感覚
ありますから。
帰省する人は、どうか
この感覚を忘れずに
失礼なことをされても
どうか穏便に。