コロナによる見えない影響は
まだまだたくさんあるでしょう。
いろんな世代のいろんな体力を
こっそりと奪っている。
体力は何もお金のことばかりではない。
まして、身体的な体力ばかりでもない。
気力までも奪いきってしまうから怖い。
特にお年寄りは若者以上に感染への不安が
強く強く気持ちの奥底まで張り付いている。
大人世代も40代以上になると親の介護という
現実が知らぬうちに近づき始める。
いつまでも元気でいてほしいと願う。
ちょっとした気軽な体操教室、ヨガ教室。
その他、趣味を中心にさまざまな機会。
日常で外に出て人とふれあうキッカケであり、
体ばかりでなく気持ちもリフレッシュした
その機会を奪われてしまったお年寄りも多い。
多くの見えない犠牲の上に成り立つ社会。
お年寄りたちはだんだん、物事を
うまくできなくなっていくんですよね。
出来ていたことが出来なくなってゆく。
衰えの実感のない若い世代にはまだ、
わかれといってもワカラナイ感覚だろう。
その維持こそが体操や運動、趣味の機会。
他人との関わりで気持ちのリフレッシュ。
そこが叶わなくなる日常となると、
気持ちも塞ぎこみがちになっていきます。
ワタクシも両親ができなくなっていくのを
間近で感じているからこそ思うところです。
気持ちの面ではまだ元気にみせていますが、
やはり体力の衰えからか、できていたことが
終わらなくなり、後手後手を踏んでいく。
できない自分に腹が立ち、情けないとこぼす。
それを受け入れなければならない日も近い。
彼ら自身もそうだが、ワタクシ自身もそうだ。
ワタクシはただ、仕方ないよと言うのは
絶対に違うと思うので、厳しいくらいの
言葉でハッパをかけて、叱咤する。
もちろん、本人のためを思うからこそ。
年を取れば、大人になれば周りから
厳しいことを言われなくなる。
これも実は、良くないことなのかもしれない。
聞く耳をもたないお年寄りにだって
あきらめずに話しかけて続けていくことを
私たちは放棄してはならないのではないか。
後手を踏み続ける国の政策、方針。
私たちに対し国は、こうしますから、
こう動いて下さいと指示するが、
それも空回りし続けるばかりだ。
そしてコロナによって数か月以上も
日常を取り戻せない生活をおくると
お年寄り世代はかなり衰えが進むだろう。
体力の低下とともに不安が気持ちを沈ませ、
晴れやかになれない日常をただ送るだけ。
遠くない未来に、健康寿命を大きく縮めた
お年寄りたちが介護の場へ、その家族も
支えるための介護の場へ引き出されていく。
おそらく思ったよりも早い訪れに感じるだろう。
コロナによってあらゆる世代の負荷も時期が早まる。
そうなるとより、ひっ迫した医療、介護体制となる。
そのたびに保険料を上げて対応するのだろう。
どんどん、しかし気づかないうちに
ドミノ倒しが私たちのすぐそばで始まっていく。
国に任せたままではそうなる。
国はたしかに「指示」する側なんだけど
国はいつも手間ばかり増やして手順を重視。
この手順を経たものだけが、ありつける。
やたらとハードルを上げたがる。
なんでも手順どおりにしないと法律違反。
そこに緊急時さえ、しばられてしまう。
黙ってみている人や、黙って待っている人。
機能しない人たちが増えていく。
それをまるごと支え、支払い続けるのは
私たち、その子や孫たちなんですよ。
私たち(国、公務員)は忙しいんです!
とばかりに権威と地位、自尊心に酔いながら。
違うでしょう、もっとやり方を考えて、
民間や地方に決定権を譲り、自主性を促して
国がサポートする側にまわれば、
私たちの社会はもう少し有機的に動くはず。
私たちの仕事なので、
というプライドが透けて見える。
そういう預け方をずっとしてきた、
そのシステムに依存してきた私たちも悪い。
だから文化祭で張り切る責任者のごとく
「コッチがやるから余計な口出ししないで」
「ヘタな手出しは無用」みたいに黙らされて、
もっと効果的にやれる術をミスミス逃してしまう。
頭のいいやつは、頭のいい序列で動く。
これが緊急時に機能しない致命的な欠陥だ。
ホントの頭のいいやつは、序列を飛ばす。
おそらくそう考える人がほとんどだが、
失敗の責任を取りたがらないから前に進めない。
大事なときに法律にしばられ動けなくなる。
恐ろしいほど課題は積み重ね続けられ、
どんどん高く、重く私たちの目の前に
積み上げられていく。
「これを全部、こなしてくれたら助けますよ。」
したり顔の彼らにまるごと預けるのはもう、
やめる時期に来ているのではないか。
本気で権限移譲していかないと
全体の意識も低下して、不満ばかりを
ぶちまけ続ける日常になるだけだ。
ぶちまけても、ぶちまけても
何も解決しない日常に。