動画でカンタンに記録できる

 

ということは、出来事を

 

切り取り、伝えられるということ。

 

 

・・・なんですよね。

 

改めて考えると

 

ちょっと恐ろしい側面もある。

 

 

そういう世の中になって、

 

なにが変わってきたのだろうか。

 

みなさんの想像通り。

 

 

イイコトより悪いことのほうが

 

多くなってしまったと

 

感じていないだろうか。

 

 

動画が世界を変えているのだ。

 

良い意味でも、悪い意味でも。

 

 

古くはフィルムでの撮影であり、

 

その後はビデオカメラ。

 

でもほんの一部を切り取れただけで、

 

しかもすべての人ができたわけじゃない。

 

 

そのもっと前は写真、その前は絵。

 

その前は何もない。・・・のかな?(笑)

 

 

撮影できるのも専門家だけじゃない。

 

一般人も習熟度や使う機器、技術など

 

同じものを得ていけば、並ぶことも可能だ。

 

 

いまは誰でも撮影できてしまうから、

 

永遠に残せてしまう怖さがある。

 

何十年後かに「若気の至り」が

 

足かせとなって失脚させられる、

 

そんな時代も来るんだろう。

 

 

むかしは伝わらない事実がたくさんあり

 

伝わらないなかで歴史が紡がれてきた。

 

すぐワタクシはむかしの話をするが、

 

それも「ぺこぱ」のように許してほしい(笑)

 

 

善悪を胸の奥にしまい、墓場まで。

 

そんなエピソードがたくさんお墓には

 

眠っているのだろうと思う。

 

 

ワタクシはそのくらいのバランスで

 

ほどよく回るんだろうと思うんです。

 

全部バラしちゃダメなんだって。

 

 

なんでも叶うようになると、これから

 

かならずバランスが崩れる時期がくる。

 

 

もうすでにそうかもしれない。

 

落としどころがなくなってしまうのだ。

 

逃げ場もなくなってくるだろう。

 

 

法律的な意味での

 

知る知らないの善意と悪意ではなく、

 

人間の意図が介在する、善意と悪意。

 

 

それぞれが乗っかってしまい、

 

相手のことやバランスを考えないから、

 

双方の思惑が絡んで、こじれてきてしまう。

 

 

都合の悪いことを秘密にしておけた。

 

都合の良いことだけを発表できた。

 

それで救われなかったことも、

 

逆に救われたこともあるでしょう。

 

それはむかしもいまも、

 

そして、これからもなんだと思う。

 

 

仕方なくではなく、

 

まぁ、仕方ないかなくらい。

 

このニュアンスの違いは

 

結構、大事なポイントですよね。

 

 

むかしの人は素晴らしかったのだ、

 

みたいなことも真偽のほどは

 

本人、当事者しかわからない話で。

 

 

美談は人づてに、口や文で伝わるので

 

年月を経るごとに真実に脚色が加わりながら

 

少し、美化されていったのかもしれない。

 

 

そして現代。

 

可視化され真実を記録して、切り取り

 

さらし続けてしまう世の中になっている。

 

 

しかし切り取って、こうなんだよ、どう?

 

と投げっぱなしであとは、ほったらかし。

 

このポイ捨ては、かなり民度が低い(笑)

 

 

簡単な解決方法がみつからないまま、

 

どんどん目の前に提示され続けてしまう。

 

すぐに答えが出るほど

 

簡単ではないでしょう?

 

ソシャクせず飲み込む大食いファイターか?

 

 

問題は、善と悪の両端の結論を

 

自分なりに視野に入れながら

 

最悪の場合、そういう状況もありうると

 

腹をくくっておくことではないか。

 

 

私たちはなぜか知らないが

 

100が当たり前になると常に100を

 

要求するのも、当たり前にしてしまう。

 

 

おそらくこれからますます、

 

100は増える。

 

しかし常に100を維持できないときに、

 

別のパターンを用意しようとしない。

 

考えもしなくなり、ままならないまま

 

どこかに追いやってしまう。

 

常に100を求めて。

 

 

大事になってくるのは、

 

「100でなくてもできる自分」を

 

引き出しとしてつくること。

 

そして100じゃなくても許すこと。

 

 

違いを認め、受け入れ、

 

手作りのエコバッグならぬ、

 

「エゴバッグ」を用意しておくこと。

 

 

自分のエゴを受け止め、しまい込み、

 

ときには外敵から守り、雨風をしのぐ。

 

さらされないように、しまい込むような。

 

おお(笑)、なんかイイ感じのたとえ(笑)

 

 

スマホを手放せない生活、人生で

 

世間は動画に主導権を奪われてしまった。

 

動画中心に、アプリでガッチリ固める人生。

 

自分で選んでいるようで

 

選ばされているだけ。

 

 

解決するには、まず

 

カメラを止めてみること。

 

そして「エゴバッグ」を

 

自分のなかにつくること。

 

なのではないか。

 

 

ゆたかさの陰に隠れ、追いやってしまった

 

私たちのレジリエンス自体の復元こそが、

 

本当のゆたかさをもたらしてくれる。

 

 

「エゴバッグ」をつくろう。

 

そして持ち続けよう。

 

私たちの心のゴミ問題の解決にも

 

少しは役立つほうへ向かうだろうから。