現代人はイヤになったら
逃げこめる場所が結構多い。
むかしの人たちと比較しても
逃げ場所が増えているなぁと。
正直、思う。
それぞれの時代で難しいことは
あったにせよ、逃げこめる場所って
むかしは少なかった。
だから結果的に
ガマンするということを体験し、
ハマってしまう前に、
立ち上がる筋力を低下させずに済んだ。
いまはそれができないしくみというか。
できづらいしくみというか。
あんまり良いたとえではないが、
むかしは社会がなんらかのゲームの
クリア前の途中みたいな感じ。
ゆたかになろうという社会全体の
目標が明確で結果が得られて、
成長していく過程に充実して、という。
いまは「クリアしちゃった」んですよ。
そのクリアしたゲームを延々としてる、
しなければならないと、思わされている。
そんな感じがする。
ある程度、やりきっているので
習熟度は増しているんだけど、
次の納得するステージを
誰もつくれていなくて
用意されていない状況のような。
想像してみてください。
それだと、つまらないでしょ?
やる気が起きなくなるでしょ?
本当は自分で次のステージをつくり、
新しいゲームをつくり、
クリアを目指して私たちは
やっていくべきなんです。
でも現代はすでに
ある程度のパターンはやりきっているから、
新しいゲーム自体が生み出せていない。
見落としてしまってるアイデアもあるが。
だから、現代人はむかしにはない、
動かしがたい難しさがあるとしても、
やりようがないこともあって、
やっぱり逃げこめる空間に
逃げてしまう人が多いんだと思う。
ネットを中心としてね。
むかしは避難場所があるにしても、
居心地の悪い一時的なものが多く、
早くここを出たいと思わせるもの。
ハッパかけて尻を叩いてでも、
現実に戻そうと自身も思っていたし、
周囲も応援したものだった。
技術の進歩、向上が可能にした功罪は
避難場所を居心地の良い場所にしてしまい、
抜け出しがたい空間にしてしまったこと。
たぶん、むかしの人がいまの時代に
タイムスリップしたとしても同じ人間、
私たちと同じように居心地の良さに
ドップリ浸かる人が多いだろう。
じゃあ私たち現代人は
このまま反抗しないのか。
「欲の渦」の中から
抜け出せないのだろうか。
本当のゆたかさみたいなところは、
精神的なものやお金で買えないとか
そんなキレイゴトが結構、多くなるけど(笑)
金銭的な事情や生まれた環境などの違いは
いまもむかしも同じようにあったただろう。
貧乏な人も金持ちの人も当然いた。
日々生きていくので精一杯の人は
健康に留意できるかといったら
意外とそうでもなくて。
金持ちができる基準でそろえて
維持していくのは無理な話で。
いまは金持ちや勝ち組を基準に
レートが決まっているようで。
テンピンはぜいたくですよ(笑)
健康を維持したいという欲と
それを可能にする医療や技術の向上。
勝ち組と呼ばれる人たちは、
それらを実現できる環境にいるし、
そこに狙いを定めビジネスも展開する。
どんどん勝ち組のトレンドで回り出す。
ろう人形のような不自然な造形美で
若さを永遠に保とうと必死になりながら。
経済的に豊かな人のほうが、
余裕があるからこそ安心して、
健康維持に励もう、取り組もうという
空間をつくり出せて、継続できるのだから。
勝ち組や負け組という構図が鮮明になり、
ワタクシもむかしは成功している人間に
「うまくやりやがって」という
卑屈な気持ちがあったのは事実(笑)
しかし、いまはその方向は
みんなが向かうべき、目指すべき道
「でもない」と考えられるようになった。
むかしは少なかった、ひきこもりも
どんどん年老いて安全な避難場所で
しのぐだけの資金が枯渇していって、
これから問題が顕在化してくるだろう。
どうしようもならないから、
その場にとどまり続けてしまう。
避難場所がムダに
居心地がいいばっかりに。
さらにコロナによって、
より立ち上がりづらくなって
よりひきこもってしまう者も多いでしょう。
このまま勝ち組だけが楽しい世の中に
していっていいのかな?
さすがに日本でも暴動が起きるかも?
そうなる前に私たちはもう少し、
全体を思いながら、考えて考えて、
やっておくべきこと、
挑戦しておくべきことが
あるんだろうと信じている。
誰もこのままでいいなんて思っていない。
でも誰もできないのか、しないのか。
エライ人いわく、
どうやら私たち日本人は
民度が違うらしいですが(笑)
感染はおさえられても、
経済的にも精神的にも、
新しいステージを自分たちでつくり
立ち上がるのはヘタだと思いますよ。
あまりに居心地がいいから、
底の底を打って落ちてしまっているのすら、
気づけなくなっているんじゃないか。
進むべき道は舗装されていない。
そんな道は気が進まないかもしれない。
しかし進みたい人は大勢いるのは確かだ。
ただ、既存のその手の旗手たちには、
あまり求心力を感じない。
何かが足りないのだ。
その手の旗手となる社会起業家とは
別のスタンスの存在が必要な気がする。
あんまりキラキラしすぎないで、
自分たちで歩みを進めるような。
そんなコミュニティがいまの私たちに
待ち望まれているのではないか。