もしかしたら、
現代人が一番受け入れなければ
ならないこと。
それは、
「自分はわかっているから」
という認識や感覚ではないか。
タイトルは塚地のギャグですが
至ってマジメなネタです(笑)
具体的には?
想像してみて欲しいのは、
こうすれば、こうなることがわかってる。
ここをこうこうこう。でも、
こうなったときは、どうしようもない。
こうならないようにするしかない。
でも、こうならないようにすることだけが、
唯一の選択肢だと決めつけていないか?
ん~(笑)、こんな文章はダメなんですけど、
逆に響けば印象に残るでしょ?(笑)
イメージが共有できれば
詳細な表現よりも伝わる。
それだけか?ほんとにそれだけか?
あと方法はないのか?試してみたか?
つまり、「こう」というふうに
私たちは決めてかかっているうちは、
社会も人も変わりようがないんです。
どんな秀才もまったくの役立たず。
そして、決めてかかってその前提を
否定したがらないんです。
否定したあとの拠りどころのない
リスクを怖がっている。
この気持ちや姿勢から逃れられず、
いつまでも次のステップに進めない、
阻害する要因になってしまっている。
これから切られていくハケン、非正規。
顕在化してくると言われています。
ハケンに品格も何もないのが現実。
私たちは、やっぱり同じシステムの枠に
戻りたがっていてはダメなんですよ、絶対。
自分はわかっている、と思っているのは、
これまでのコロナ前までの、システム。
これまでも非正規や
ロスジェネ世代の問題で、
なにか新しいスタンスで展開できないかと
ワタクシなりに考えてきました。
しかし、自分はこうしなきゃいけない
という、みんなが思い描く正しい方法自体が、
もう間違いで、通用しない可能性が高い。
もうコロナ後には通用しないんだ、
と仮定して大胆に発想していかなければ、
到底、打開できない問題なんです。
しかし、私たちにかかるバイアスは強烈。
成功パターンの刷り込み、画一化。
コロナ前の変わらぬシステムを愛す。
誰かの提供するシステムを待ち続け、
それに自分を乗せて活かそうとするばかり。
少ないイスを奪い合い、探す旅に出る。
これまでも少ないのに、
コロナ後も同じイス。
昭和の錆びついた、泥まみれのパイプイス。
給付金をクラウドファンディングで集めて、
起業したほうがまだチャンスはある。
人が力を活かせず、孤立しまくっている。
みんな自分のことだけ。
対象はネットを日常操る世代だけ?
オモイサイフを持っているのは何も、
ネット利用者ばかりではない。
高齢者にだって詐欺まがいへの恐怖が
頭から離れないだろうけど、
社会のために未来のために協力したい、
その気持ちは絶対にある。
やれないことはない。
給付金のうち、1000円でも
5000円でも、1万円でも。
集められたら?そうするためには
どんなアクションを起こして、
どう知らせて、どう伝えていく?
ここをこうこうこう。して
想像して考えて、やってみよう。
いろんなジャンルで、
いろんなアプローチで。
これまでのイスはもう、ダメ。
仕事に合わせるのではなく、
自分に合わせて、仕事をつくる。
そちらの可能性を模索してからでも
遅くはないと思う。
このまま切り捨てられて淘汰されていく。
それでは、ロスジェネ世代は浮かばれない。
年金受給世代に上がってしまうと
もう、終わる。
誰も助けてくれないし、
ジャマモノ扱いされる。
好きでこうなったわけではないのに。
自分で集めて自分でつくる。
声をあげて、集まって知恵をしぼって。
つくる側へ、動かす側で立ち回ってみる
最後の最期の、チャンスにかけるしかない。
まだやりきっていないでしょう?
同じポジションで、同じことをこなすのは
もうあきらめるべきです。
新しいポジションをつくって
新しいことで切り拓くしかない。
まずは誰かの下につくという発想を捨てる。
あなたが私が、最初から主導権を握る。
コロナ禍では、もうみんな自分のことばかりで
確実に守りに入る。誰もリスクをとりたがらない。
だからこそ、リスクをとるものにチャンスは微笑む。
若い人と同じ道はもう歩めないのだから。
同じ時間で、同じことをしても、
同じ歩数しか進めないんですよ?
「同じをあきらめる時期」に来ているのでは?