なんなんでしょうね、おもしろい。
ふつうのパターンじゃないことが、
おもしろいという魔法をかける。
「しゃべくり」でみせた、
俳句を五七五で詠んだだけではダメで。
最後に「コレ」って短く発したあの感覚。
やろうと思ってもできない感覚。
私たちは「やられた感」が強い(笑)
王林もそうですね、同じ系統かな(笑)
津軽弁というスパイスが効いているので
ちょっと味わいが違う魔法がかかるが、
パターンを崩すギャップによって、
「やられた感」を私たちに感じさせる。
クセは強いが、クセのない味わい。
人生訓みたいなことでいうと、
やっぱりふつうが一番、
みたいなことを
言う人もいるんだけど、
そのパターンで
もう通用しない場合は、
「ふつうと違う」が必要。
人と違うことが喜ばれる芸能人。
ただ、芸能人ばかりではない。
私たち一般人だって、
何か打開すべきときは
「ふつうと違う」をつくりだせるか?
がポイントになってくるでしょ?
ふつうの人がふつうと違う感覚を
つくりだすのは正直、難しいことだと思う。
難易度が高いのか、やり方を知らないのか。
両方だろうと思うが。
みんな、それを知っているから
あきらめている。
知っているというのは、
「やる前から知っている」
(やる前からなんとなく結果が見える)
という、情報で解釈している。
ん?ちょっとややこしいぞ(笑)
ここに、「やれる人とやれない人」
の分かれ目がある。
やれる人は意外と、
知っているけれど
やれないと思っていない人
(=やれると思っている人)もいれば
やれないと思っても、やってみた人もいる。
伝わるか?ゆっくりとソシャクを(笑)
やれないはずがないと
信じる人だけが成功する、
みたいな言い草は、
やや挑発的だが、やってみたら?
という差し伸べが隠されていますよね。
自己啓発本とか、その手の
ジャンルのビジネスは
あなたもやってみたら?
という差し伸べがある。
このとおりやって私は成功しました。
みなさんもやってみてください!ってくる。
そこでなんです。そこ。そこの解釈。
世間には、同じパターンを教えてくれる
先導者やセンセイ的な存在を求める
二番煎じパターンがある。
でも、二番はどこまでいっても薄い。
最終的に一番目より際立たない。
だから最終的に一番目には敵わない。
同じパターンを無意識に世間が
求めているからそういう本は売れる。
パターンを聞きたい、学びたいと欲する。
売る側はそこを利用する。
書き手の側の本当のメッセージは、
マネしちゃダメなんだよ、ホントは。
っていうこと。
こういう思考の仕方を参考にして、
あなた自身が自分で考えて、工夫すれば
新しいものを生み出せるんですよ!?
ということではないか。
そこもわかっていても
センミツ(1000のうち3つしか
成功しない)と呼ばれがちで、
あきらめのバイアスをかける。
とにかくあきらめが早くなった。
そう思いません?
情報があふれる社会ではもう、
自分で考えることが私たちのなかで、
すごく難しいことになってしまった。
データが次々と蓄積され整理されていく。
ふだんから自分で考えて、自分で発想する。
というスタンスには立ちづらい世の中だ。
だからといって、あきらめたら終わり。
こういう先の見えない戦国時代において、
情報の奪い合いではなにも解決しない。
情報を揃えるだけでは勝てないから。
揃えて同じことをしても勝てないから。
だからこそ滝沢カレンの魔法を
あの秘伝のスパイスを
自分で繰り返し試しながら、
調合しなきゃならない。
たぶん、滝沢カレンも王林も
誰かのマネじゃないから際立つ。
自分でイメージを膨らませ、
自問自答した果てにたどり着くもの。
彼女たちはそうして自分で磨きあげた。
そう思うんです。
だとすれば、
私たちにだって、できないことはない。
できるのではないか?と
試して進むのも、ムダではないはず。
もうコロナ前には戻らないよ。
戻そうとする力がはたらくが、
戻ってこないんです。
やりきるしかないでしょう、自分で。
他人と違うことを意識すれば、
チリも積もり始め、集めやすくなってくる。
あなたが違いを出したいのならば。
一番になろう。なろうとしなければ
一番にはなれないのだから。
ワタクシは一番になろうとしています(笑)