コロナ禍によって
さらなる格差を実感するとしたら、
お金があるから出来ること、
お金がないから出来ないこと、だろうか。
この継続力、持続力の格差が
際立ってみえてくる気がする。
メディアで必要以上に
清廉なキャンペーンを打ち続け、
洗脳に近い感覚で満たす。
みんなで〇〇しよう、
〇〇しちゃいけない、
みんながみんな、継続的に
全部揃えられる、はずがない。
しかし私たちは
いつのまにか、その水準が
当たり前でしょ?
できないのは考えられない!
とダメな人の烙印を瞬時に押すようになる。
そもそもいま頑張って、
水準以上にそろえ、備えたところで
その後、時間の経過とともに
経済的に困窮した場合に
誰がギリギリの人たちをカバーするか。
誰もカバーしないシステムで
自分有利、自分優先が
本当の、リアルな日本社会。
イイコトばかり言いすぎるな。
マジメな姿勢ばかり見せすぎるな。
そうしなくたっていいんです。
延々とジャロってくるような、
いわゆるエリートの基準に、
すべてを落とし込もうとする流れに
逆らったっていい。
結局、同調した後の
残された人たちを誰も見ないのだから。
彼らしか残らないような、
ポジショニングを取り続けるのだから。
お金や地位など、ある程度「持つ人」が
これをやるべきだという主張は
経済的な地盤がまったく違う人に
見えない裁きを下すことになる。
中流以下はあえて
少し、距離をおいてみるべき。
少し、時間をおくことで冷静になる。
気持ちは理解しつつ、同調しなくてもいい。
みんながやるから自分もやる。
この姿勢には、少し距離と時間をとるべきだ。
なんとなく雰囲気で買わされたり、
みんながやってるからと買ったものの、
あまりにムダな出費だったと、
後悔することありませんか?
追いつかなくてもいいんです。
感染予防とかより優先順位の高いものへ
自らの決断で使う人だっている。
自分のできる範囲内で
最低限の拡散防止をする上で、の話。
痛くも痒くもない金額。
それは人それぞれ。
出す金額は平等でも、
フトコロは平等ではない。
それなりのお金がある人が
できる、こなせる基準によって、
正しいことをして啓蒙していくと
その基準での同調圧力がつくられる。
結構、ハードル高めなんですよ。
普通の中流の層が、思っている以上に
さらに下流に堕ちているので。
環境が整っている人が正論を続けると
周囲がその基準以上を求めるようになり、
基準を満たしていないと、減点しだす。
たとえ減点する気持ちがないとしても、
基準以上を求めるの「上級」のクラスが
主導権を握る世界は、軌道修正が利かない。
ワタクシはツイッターもやらないので
知りませんでしたが、マエザワさんが
ゴーリキを発揮して、世の中のために
ばらまいてくれたらしい。
上流のさらに上流にいる人は、
「上流の下流」たちから嫉妬され、
下流の一部からも嫉妬される。
しかし上流も突き抜けると、
自ら流れをつくることができる。
社会全体に行き渡らせようとしてくれる。
そういう行き渡らせる行為こそ、
社会の歪みを、痛みを緩和させる。
上級ではなく上流。
上級は流れない。
留まっていられるシステム。
世間の声と称して、上流の下流にいる人。
「上流の下流=上級」なんですよね。
彼らの声は強い。実は教育の施された
エリートや、エリート崩れだったりもする。
だからタチが悪いんだと思いますね。
彼らを突き抜けて、さらに上にいる人が
なんだかんだでカギを握っている。
もともとマエザワさんのような
「ジャイアン」だった人たちが、
動かす社会のほうが、実は
うまく回る気がしてならない。
流は、流れるし動くから機能する。
級は、形成したまま居座り、動かない。
上級と称し、流れをせき止めている。
上級と勘違いしている人たちは、
おぼれることはない。
しかし、それでもやはり
おごれるものは久しからず。
時代の変わる局面に今、まさにいる
私たちはうまく流して、流れて、
全体を回さなければいけないところまで
きているのではないか。
その流れをせき止めている、
上級を気取る者たち。
私たちが本当の意味での
ゆたかさを取り戻すためには、
彼らを流せない社会構造自体が
一番タチ悪い気がしますね(笑)。