お笑い芸人の立ち位置の変遷について。

 

ちょっと考えてみました。

 

長文です、ごゆっくり。

 

 

岡村は「ふざける職業なのに」と思って

 

今回こういうとき、悩んだでしょうね。

 

ふざけてくれというフリか?と。

 

芸人芸人のスタイルの人格が邪魔をする。

 

 

たぶん、いろんな「教科書」に触れて、

 

迷いながら自分のスタイルを確立しても

 

やっぱり「芸人芸人してるスタイル」を

 

これまで変えられなかったのだろうなぁと。

 

 

マジメすぎるところがあって、

 

それが悪い方向に出るパターンの人。

 

 

ダウンタウンを視野に入れながら

 

あの頃の笑いのスタイルが

 

染みついて抜けない芸人という感じ。

 

 

いいんですよ、ワタクシも好きです。

 

その芸人芸人してるスタイルが。

 

ダウンタウンをみながら、笑いとは

 

こういうもんだと、育ってきた世代。

 

 

しかし、もう時代が完全に

 

「そっち」へシフトしたのかと。

 

 

いまの時代は「恥ずかしげもなく」

 

マジメに話す、マジメに何かするという

 

方向性にシフトしてきているんだなぁと。

 

 

そこに下世話な?笑いは要らないんだという、

 

ちょっとせつない感じは正直、あるかな(笑)

 

 

ああいうラジオってちょっとホンネの出る空間。

 

社会人を演じる部分と離れてしまう心地よさが

 

あるんだろうと思います。ライブ、生というのもね。

 

 

笑うところで、笑っちゃうと

 

バカにしてるとか、そっちに行っちゃう。

 

コッチは、そんなんじゃねーのに。

 

 

若い人たちは、見せちゃいけない番組

 

いじめを助長する番組みたいなものをNGにして、

 

「バカにする笑い(行為)」をするもんじゃない

 

という流れで育ってる。

 

 

だから、笑うところで笑えない人が育つ。

 

こちらが狙おうとする笑いが起きない。

 

成立しなくなってしまっているんです。

 

 

お笑い芸人はこのボケで笑ってほしいのに

 

悲鳴になったり、引いたり、ビックリしたり。

 

 

客は自分のほうに合わせてくれるのが当然!

 

って思ってしまっているから。

 

サービスと同じ感覚で受け取っているから。

 

 

違うよ、そのリアクションされると

 

もうこっちの狙う笑いが生まれなくなるんだよ!

 

って感じになってしまう。

 

 

客が育っていないんです。

 

演者が求める笑いと、すごく距離感があって

 

理解してもらえないというか

 

笑いのポイントが変わってしまって退化している。

 

 

視聴者の人にも多いと思うのは、

 

ダウンタウン以降、ストイックさを追求して

 

簡単なことで笑わないみたいな人いるでしょ?

 

主に中年世代にね(笑)

 

 

あの頃に刺激を受けた人は、視聴者のほうが

 

芸人が生み出してくる笑いのほうへ向かう。

 

自分から合わせにいく感覚、

 

わかろうとこっちが合わせていこうとする感覚。

 

 

ダウンタウン自体はそのころにやり切ってるから

 

あの人たちは切り離して卒業しているんだけど、

 

(それはそれで本当にスゴイことなんだけど、笑)

 

卒業できなかったファンや後輩はいる。

 

 

ワタクシも若干、そういうところがある。

 

ファンのほうが多いかな、

 

むかしのお笑いのほうが好き。

 

いまの若手のお笑いは・・・

 

という人いるでしょ?

 

 

岡村もマジメにお笑いと

 

向き合ってきたがゆえに

 

抜けきらないところがあるんだと思う。

 

 

矢部は時代に合わせて気づいた現実路線を

 

やむなく選択してたのかもしれない。

 

結婚の有無も関係してるでしょうね。

 

 

結婚していないことを責めるのも差別だ、

 

みたいなその流れ拓いたら、

 

川の堤防が決壊してしまう(笑)

 

このすぐ差別だ!に持っていく意識もね。

 

その意識のほうが逆に差別だ!という矛盾でね。

 

 

ダウンタウン全盛の彼ら20代や30代のころは、

 

マジメに何かをやるのがちょっと恥ずかしい、

 

サブイという流れが確実にあってですね(笑)

 

 

ちょっとふざけて、

 

ひどすぎるくらい飛躍させる。

 

そのくらい落差があるほうが

 

笑いが増幅する、みたいな

 

高低差のギャップが、

 

いまは通用しなくなってきた。

 

 

わからない人もいるでしょうけど。

 

そうだったんですよ、ほんと。

 

いまの40代の芸人さんは、

 

ほぼほぼ、触るものみな傷つける

 

彼らダウンタウンを通過儀礼に

 

それぞれ徐々に自分の枝葉を伸ばして

 

開花してきた世代です。

 

 

あのころの妙なストイックさを

 

刷り込まれてきた世代ですもんね。

 

 

そもそも岡村は、

 

ナイナイはダウンタウンのチンカスと

 

言われながら、自分の芸人像みたいなものに

 

かなり悩んだろうなぁと思う。

 

 

めちゃイケを軸にして少しずつ、

 

「無骨に頑張り、努力し続けながら

 

一生懸命やりながら、感動させながら

 

笑わせる」

 

という離れ業のスタイルを

 

確立したんじゃないかと思って。

 

 

「涙しながら、ちょっと感動しながら

 

上達していくサマを見せられつつ、

 

ハプニング的な行動をして笑わせる」

 

みたいな面白さかな。クドイ(笑)

 

 

めちゃイケという番組自体が

 

そういう演出だったのかもしれないけど、

 

普通、素人じゃそんな短い期間じゃ

 

できないようなことを、がんばって

 

できるようになっていく流れ。

 

 

ああいうちょっと狂気なストイックさを

 

周りがなんとか笑いに活かしていたのかも。

 

 

言ってみればダウンタウンとは

 

違う引き出しをつくり、

 

オリジナルなパターンをつくった。

 

 

でもね、時代は流れてしまっている、残念ながら。

 

最近、あったドリームマッチ2020も

 

笑いが起きるべき(少なくとも演者が求めてる)

 

そういうボケのときに、悲鳴があがる。

 

 

笑ってほしいのに。笑わそうとしてるのに。

 

そのリアクション違うよ・・・

 

こころのなかで思っているんじゃないかな。

 

 

でも、いまはそういうのが主流じゃなくなった。

 

という哀しい現実、笑いの質が変わってしまった。

 

おかむら問題の根っこにあるのはそういう

 

笑いの受け取り方の変化が関係してるのかもしれない。

 

 

なんというか、目にみえない時代の流れに

 

翻弄されてバッシングを受ける人はこれからも

 

たくさん出てくると思います。

 

 

いまのこの時代背景がつくられてしまって

 

流れを変えられなかったのだ、という悔しさ。

 

 

そうやってヒタヒタと忍び足でつくられた常識。

 

そこに合わせていくと、求める笑いは実現できない。

 

 

ダウンタウンが自分らでつくったスタイルが

 

通用しなくなっていくのを、自分たち自身で予測し

 

いち早く感じ取ってシフトしていったのかもしれない。

 

 

その流れをくむ芸人が微調整しながら、

 

これならわかる?わかるかな?って感じで

 

客に合わせにいってる感じがね・・・いいのか悪いのか。

 

 

とにかく表向きはマジメな時代。

 

素直に笑ってはいけない自分を

 

演じていなければならない時代。

 

 

そういう社会にしてしまったのだとしたら、

 

私たちはとんでもない方向へ向かっている

 

そんな気もしないでもないかな(笑)

 

 

このニュアンスは首傾げる人が

 

多いと思いますけどね・・・

 

やっぱりそういう時代ですよ、

 

わかってもらえない、まさにこれが!!(笑)