母体が大きくなればなるほど、
あっちのものをこっちに、
こっちのものをあっちにという、
融通がうまく利かなくなってくる。
さらにひとりひとりの権利が無視できなくなり、
それぞれが主張するから解決に進まない。
この構図は緊急に事を進めなければならないとき、
より身につまされる感じになる。
ハッキリ言うと、
ああすればいい、こうすればいい。
ってのは邪魔になるだけなのかもしれない。
みんなが大挙して同調して進めても、
その動きが大きなものになるぶんだけ、
必ずシワ寄せはでてくるが、そのシワは、
遠くの、ずっと遠くの向こう岸でみえないため
私たちは見て見ぬふりをすることもできるから。
動けば動くほど、ホコリもウイルスも舞う。
双方が動きを止めれば、波風も立たなくなる。
企業の活動を休止できない原因で、
根本にあるのは、補償がないから。
コロナが終息しても同じように
活動できる体力と資金について、
補償があるならやめるよ
ということです。
たとえ、財布にたくさんのお金があろうと、
口座にたくさんの動かないお金があろうと、
自分が原因でないことに、自分の財布から、
企業の大事なお金を使うのはためらうでしょう。
企業の維持と財布と、社会と人と家族と。
様々な思惑が絡まり合いながらの、にらめっこ。
仕事を止めてはいけないという思いを、
顧客双方同士がお互いに思っていて、
やめられないのだとしたら?
止めたいけど、相手もあることだからと、
双方が踏み切れないのだとしたら?
笑うと負けなのか?このにらめっこは。
どちらも譲らぬまま、にらめっこしましょ・・・
お互い引き際がわからないまま、
ずっと続く、不要不急のにらめっこ。
もっと単純に考えてもいい。
何度も言うが、非常時においては
通常時の常識の逆が、打開の効果をもたらす。
あっぷっぷ!ってされたら、
あっぷっぷ!って返さなきゃならないと。
これじゃいつまでたっても感染拡大の温床は
なくならないのではないか?
あっぷっぷ!って満員電車に乗る、集まる。
カンタンじゃないのは百も承知。
でも、
笑うと負けませんよ。
国は、法律虫になってるが、
法律無視してでも、
さっさと補償をバラまいて、
にらめっこやめさせたらいい。
みんな結構、法律にガンジガラメ。
整う社会ってのはこういう怖さがある。
笑わないのは、なんの得も生まれない。
笑ってる場合か!という圧力はある。
でも逆なんだよ、きっと。
笑うと勝てるのかもしれない。
なんだか、そんな気がするんですよね。