6年ぶりだそうです、すんげー楽しみで(笑)

 

始まる前に書きますけども。

 

 

ちょっとお笑い的な考察が入りますけど。

 

個人的な主観のみで失礼します。

 

 

ワタクシは世代的にはダウンタウン、ウンナンや

 

とんねるずの世代なんですけども、

 

彼らのテレビをみて育ったので影響は大です。

 

 

あの時代はテレビでコントをみる機会が多くて、

 

自然と主役はボケなんですよね。

 

担当がどうのこうのではなく、ボケ行為を笑う感じ。

 

演者がボケ担当だけでなく、ツッコミ担当でも

 

ボケに反応して笑っていたような気がします。

 

 

どんなボケで笑いをとるかみたいな感じで、

 

松本は特に、どんどんまだやってない笑いを

 

舗装されていない道を切り拓いていってた。

 

ごっつの最期のほうは、ちょっと視聴者に

 

合わせることがない感じもして、

 

お前ら、ついてこれんのか?みたいな走り方に。

 

 

ワタクシも松本がやってるんだから面白いんだろう

 

っていうこちらが合わせにいくアプローチを

 

意識していたと、いま思えば感じるんですよね。

 

笑わなきゃならないみたいな感覚。

 

 

いろいろあって90年代後半、2000年代に

 

入っていくとコントは主流じゃなくなってしまう。

 

笑いもM-1のあたりから、漫才のように

 

ボケとツッコミをわかりやすく立てる感じに寄ってきた。

 

 

時代もわかりやすくを求める日常が進んできて、

 

大衆にわかりやすく、シンプルに伝わるように。

 

テレビも字幕を多めにして、注釈が多めになり、

 

おことわりを事あるごとに入れていく。

 

 

そうしていくうちに、視聴者のレベルダウンを

 

感じていくようになったのか、松本も極端な階段を

 

視聴者に昇らせるのをやめたような気がするんです。

 

 

そしてボケからツッコミに主役が移っていったような。

 

グラデーションがボケ主役から、ツッコミ主役の感じに。

 

最近のM-1にしても、ツッコミが目立つのがトレンド。

 

松本も自分でツッコミまでやるようになってきてますし。

 

ツッコミでよりわかりやすく解説してる感じかな?

 

 

要するに、たぶんボケのバリエーションはそれなりに

 

みんなやり尽くした感があるんでしょうね。

 

新しいものを、新しい形をとらないとお笑いの世界は

 

既にある椅子と比較されやすいので、新しい椅子を

 

みんなでつくって、探して、世に出てくるんだと思うんです。

 

 

いまでもやってるコント番組にしてもよくみると

 

ボケで笑ってません?そして漫才はツッコミで

 

笑ってるような感覚がないですか?

 

 

別に悪いと言ってるわけではないんですが、

 

時代がわかりやすくを求める風潮なだけ、

 

わかりにくいものをわかろうと歩み寄るスタンスを

 

視聴者である大衆も、取らなくなってきたのかなと。

 

 

いまのお笑いも、もちろん笑います。好きですよ。

 

でもちょっと変わってきたのは事実だと思いますね。

 

ボケ単体では機能しなくなって、ツッコミとセットで

 

視聴者である受け手が、なるほどと笑う感じ。

 

 

もともと漫才文化の浸透した関西では、

 

ツッコミを待って笑うような文化があるという記事を

 

何かで見ましたけど、漫才文化とコント文化、

 

関西と関東。そしていまはいいとこどりのハイブリッド感。

 

 

次はどこへトレンドが向かうのか(笑)。

 

楽しみ方はそれぞれだと思うんですけど、

 

お笑いの世界の性質上、比較は世の常。

 

新しい椅子をつくり続けるのも

 

もう限界にきているのかもしれません。

 

 

ただ、笑いがなくなると正しいコトだらけで

 

ものすごく窮屈になって、すでになってますが(笑)、

 

ストレスを抱えながら私たちも負荷がかかったまま

 

日々、生活してるような気がしますからね。

 

 

ん~、気づきのチカラとも無縁ではないかも。

 

そこ気づいてくれないのか・・・と落胆する。

 

これはお笑いだけの話ではないかもしれませんね。

 

 

果たして、どんな笑いがみれるのか。

 

ドリームマッチ2020を楽しく観たいと思います。

 

批判せずに、なるべく楽しく、こんなときだからこそ。