志村けんが亡くなった。

 

幼少期、みるなみるなと言われても

 

みた全員集合。楽しかったな。

 

私たちはこの新型コロナについて、

 

志村さんの死によって伝わる何かを

 

感じ取ったのではないだろうか。

 

 

図らずも、この方の死によって

 

「身近な人が感染して亡くなる」という

 

テレビ等を通してではあるが感じ取った。

 

共感が強まったのではないかと思う。

 

 

実は、テレビなども啓蒙的に「いつもどおり」を

 

意図的に廃してもいいのではないかと思っている。

 

 

撮影の際に、うつるサイズにみんなを入れるために

 

出演者同士を近距離で出演させるのではなく、

 

あえて距離をとる番組づくりをもっとしてもいい。

 

 

一部の情報番組ではそのような措置をとっているが

 

面白さや雰囲気が削がれてしまう懸念からか、

 

全てとはいかず、なかなか手を打とうとしないみたいだ。

 

極端な話、過去の総集編で対応してもいい。

 

ワタクシはこの時期なら許せる。

 

 

視聴者もここは少し、違和感を受け入れてでも

 

いまの時期は現実を現実として、受け止めなければ。

 

おそらく近く、もっと厳しい措置が講じられる。

 

そのとき私たちは例外なく、混乱するだろう。

 

 

いつもどおりにできない日常を過ごさなければならない。

 

テレビはいま「すべての世代」にとって身近な存在。

 

若者がテレビ離れをしているとはいえ、メッセージ性は

 

限りなく大きい存在であることは否定できないでしょう。

 

 

いつもと違うということを、

 

さまざまな媒体の映像や音、表情、態度を通じて

 

私たちはより真剣に、身近なものとして

 

感じ取れるのだから。

 

 

志村、うしろ、うしろ!

 

私たちに危険を感じ取らせ、旅だった。

 

私たちは彼の背後にある危険を

 

キチンと受け止めなければならないのではないか。