新型コロナの件でいま、
若い人たちの行動が問題視されている。
彼らの年齢のときの自分自身を振り返ると
気持ちがわからないでもない。
自分自身が現在、彼らの立場ならどうだ・・・
結構、ルールなんてくそくらえみたいな
ゆるさの中で年配者たちも生きてきたはずだ。
いま思えばですよ、相当なクズな面もあったはず(笑)
意外と過去の恥知らずだった自分を棚に上げ、
いまの経験値からの目線で言っている人も
実は多いのではないだろうか。
年齢的に人は一般に、老いていくと、
それまでの大なり小なりの困難を
経験、克服したことがある人は、比較ができる。
〇〇とくらべれば、このくらいはガマンできる。
〇〇のときのほうがもっとドン底だったし。
というように、自分の気持ちを過去の経験に照らし
現段階の自分を、少し客観視できるのではないか。
どうすればいいかを理性を働かせて判断する。
状況を加味しながら、各人の思いにも
バランスをとって人間らしく配慮しつつ。
その行動や態度が家族を落ち着かせたり、
地域や仲間内の理性ある落ち着きにつながる。
経験のある大人がイニシアチブをとって
それに無条件に信頼を置いている周囲がいる、みたいな。
ワタクシのような中年世代以上はまだ、
年配者に対して、多少の尊敬の念を抱いていた。
そういう記憶がある。
たぶん、そういう言葉に迫力と説得力をもっていると
感じさせる大人がまだ、いたんだろうと思う。
だが、やっぱり意味のわからない怖いおじさんや、
うるさいおばさん、こんな人らが普通にいて
ふつうに怒られてたからなぁ(笑)
でも不思議なのは、ビビッてまではいないけど
怒られても素直に聞けていたことだろう。
学校で先生の、いま思えば理不尽にも思える言動も
自分の悪いところに目が行き届いていなかったからと
受け入れられたものである。ホントに。
言われないと気づけないことたくさんあるじゃないですか。
特に子どもには多いでしょうから。
風向きが変わったのは、教育関係において
これはダメでしょ?って声が上がり始めたとき。
いい意味での持ちつ持たれつな関係に
ヒビが入って権利の主張を声高にし出したことに
端を発したような印象がある。
これは少し別の視点からみれば、
本人にとってその時点において、
イヤと感じることをすべて排除した。
ストレスを与えない環境を推奨するあまりに、
ストレス耐性の低い子供が家庭でも学校でも
増やしてしまった、ともいえる。
まぁ、このへんの議論は切りがないので戻すけど、
子供にビビるオトナが増えたのかな、やっぱり。
子供を一緒に叱るオトナである、
その子の親と
周囲のオトナが
同じ認識を持てなくなってしまった感がある。
伝わるかな?ちょっとまわりくどいか(笑)
子どもにとって親は味方なんだけど、
むかしは子どもがダメなことをすると、
親以上に周囲のオトナが叱ることに対しても
どんどん悪いことしたら叱ってくれと
その親のほうも同調していた。
そう、その親と周囲の大人は奇妙な同調をしていた。
叱られて当然なんだ、叱ってくれてありがとう的な。
それはたぶん、社会全体で子供を育て助け合うという
感覚に近いものだったと思う。
いつしかそれが急に親が、子供の肩ばかりを持つようになり
周囲のオトナが叱ると逆に、親が怒るという現象が起こる。
あれ?怒るの?え?叱っちゃダメなの?ってなって
どんどん消極的になり、見て見ぬふりをし始めていって、
凶悪事件などの刷り込みで、何するかわからないから
関わらないでおこうという雰囲気になってしまった。
このオトナのポジショニングが変わったことが
子どもが手をつけられないほど増長していく
ひとつの理由にもなってるのかもしれないですね。
そして、子どもたちに対して、適切な距離と言葉を
持てないでいる私たちオトナにも原因はありそうです(笑)