なんとなくだけど、コロナ自粛が終わった途端に

 

各地それぞれ人で、ごった返す場所が増えそう(笑)

 

抑え込まれてた反動というか。

 

 

どうだろうな、段階的に解禁していかないと

 

おそらく爆発力が増すだけだろうという気がする。

 

各自が気をつけても、発散したい欲が出るような。

 

 

各人がバラバラの意識になるのは当然だから、

 

なんとなくイラついてケンカやトラブルが

 

余計に起こるという逆の効果もあるでしょう。

 

 

新型コロナでの改正特措法。

 

少し読みましたけど、伝わりづらい法律文言(笑)

 

あらゆる意味で自制心を失いつつある現代人に

 

文句言わせないための抑制効果としての特措法

 

って側面もあるのかもしれません。

 

 

そしてスポーツ選手を中心とした著名人のメッセージ。

 

これもね、冷静になるとちょっと違うと思う。

 

不安を抱える人たちには、温かい言葉をみたいな。

 

安心する言葉を浴びたかったり、同調したかったり。

 

ホントの意味で前に進んでる?それで。

 

 

SNSを中心として、いつもとあまり変わらないように

 

「楽しみを提供しようとしている」送り手と、

 

「楽しみを受け取ろうとしている」受け手。

 

 

いつもどおりじゃない状況だから、

 

いつもどおりのことを逆に、しちゃいけない。

 

いつものとおりに反する、動きをしてみるべき。

 

そういう意味の反動もあると思うんです。

 

 

はやる気持ちの根底には、はやく元の生活に戻りたい

 

この願望が強く出過ぎているのではないだろうか。

 

そして、この願望に寄り添いすぎているのではないか。

 

こういった視点をもてないのだろうか。

 

 

ホントは誰しも通常どおりに戻りたい。

 

でも、それをガマンしてまでもやるべき制限がある。

 

その場合に、情報を受け慣れすぎて200%受け身では

 

みんなで慰め合う言葉や、エールが飛び交う。

 

はやくいつもどおりの日常に戻るようにと。

 

 

そしてその浴びせ合いが気持ちいいのだ。

 

心なしか、その内圧を下げる効果があるからだろう。

 

いまはこんなことにチャレンジ!と課題を提供する。

 

こどもだましは通常時なら構わない。

 

ただ、こんなときに同じサービス提供は逆にダメだと思う。

 

 

危険なのはこんなやり方でのみ、慰めようとする姿勢だ。

 

極端な意見がそれぞれあっていい。

 

それを非難する必要もないし、封じ込める必要もない。

 

各自が情報に距離を置いて、考える機会にすればいい。

 

 

100%イエスな状況をかき集めしすぎではないか?

 

いま私たちに言えるのはこの現象でしょう。

 

 

人間も社会もほどよく善悪のバランスが必要でしょ。

 

善ばかりでは息苦しくなるから、悪の息抜きがバランスをとる。

 

悪だけではツライから、たまに善もしてみようと思う気持ちになる。

 

自分のなかにちょっと悪は潜めておかないと、

 

悪やマイナス状況に対するストレス耐性ができないんです。

 

 

こんなとき、ふだんやらないことをやるんですよ。

 

ゲームばかりしてる子は、スマホやゲーム機から離れる。

 

自分で考える時間を意図的につくる重要性を学ぶチャンス。

 

 

こういうとき、大人や親と話したり、

 

普段読まないような本を読んだり。

 

ってことが逆にいま、大事なのではないか。

 

 

あまりに通常に戻したい気持ちが強すぎて、

 

通常どおりにしてたことを、いつもより増して求める。

 

そしてその気持ちが蓄積されるぶん、

 

自粛解除が宣言されると反動で、

 

無理にでも出歩いて遊びたい、遊ばせたいとなる。

 

そんな気がする。

 

 

はやる気持ちで、流行らせてはならないでしょ。

 

なんのための自粛だったのか。

 

ムダになるだけですよね。