ワタクシもみました、コロナにかかった男性が

 

自暴自棄になったかのようなふるまいの映像を。

 

 

結局、ただ家にいて誰にも触れずに騒がずに

 

おとなしくジッとして待機していろ。

 

という状況は、精神的に厳しいもんです。

 

からだが動けるうちは特に。

 

 

ワタクシも昔、アパートのロフトから落ちて

 

背中を2か所ほど圧迫骨折してしまった。

 

深夜に救急車で運ばれ入院した。

 

1か月ベッドから動くなという絶対安静的な状態。

 

 

時間がすごく長く感じるんですよ。

 

おそろしくいろんなことを悲観的に考え、絶望し

 

時間があるぶん、増幅させていくような感じ。

 

時間の経過とともに切り替えられましたけれどね。

 

 

そのころはまだスマホも普及前で、ただただ寝ているだけ。

 

この状況を1か月過ごしたという経験は貴重だったなと(笑)

 

ガラケーでできることは限られているし、飽きてくる。

 

 

ただ待っているだけが、これほど苦痛だという経験。

 

たぶん、経験してみないとわからないと思います。

 

特に初期段階の数日のストレスはハンパないと思います。

 

 

情報がなければ、逆に自分と向き合い落ち着かせられる。

 

ワタクシはその方向へといけたので、耐えることの免疫ができ

 

ちょっとやそっとの挫折や負荷では折れなくなりました(笑)

 

 

ただ、この今回の50代の男性はどうか知りませんが、

 

手持ち無沙汰にスマホで知りたくもない情報を浴び続け

 

不安を増幅させて自暴自棄になったという可能性もある。

 

 

世間も感染者やそのルートなどに敏感になる報道ばかりを

 

浴びせられてしまうために、みんな不安を増幅させてしまう。

 

なった人に対して、ジッとしとけ出るなっ!と排除する流れ。

 

周囲のこの手の心理状況はよくみかけますが、

 

なんの解決もしません。

 

 

なった人、感染した人や周囲に対してどのように接するのか。

 

相手を思って、考えられなくなってるんですよね。

 

自分で考えようともしないし、受ける情報に頼り切っているから

 

答えのない状況に遭遇して、社会全体も戸惑っているんです。

 

 

正直、考える時間がないとか、考えるのがめんどくさいとか、

 

相手より自分、となる。みんなが自分をとると

 

相手は最後、独りで孤立する。

 

 

剣先を互いに向け合い、ストレス高い環境でガマンする。

 

お互いにちょっと工夫と視点が足らず、大きなズレを起こす。

 

通常どおりしたい、すごしたい、できないことがストレスに。

 

 

まずはやるべきなのは、罹患した人への精神的な負担への

 

サポート情報と実際のサポートではないでしょうか。

 

本人はただでさえ、迷惑かけてしまうと思ってしまいます。

 

 

卑屈になりがちな状況を察して、自分がなったら怖いどうしよう

 

じゃなくて(笑)、「なったら自分は」どう考えてどう行動すべきかな?

 

あるいは、どういう気持ちの持ち方をすべきなのかなと

 

スマホなんか使わないで、自分で考えることだと思うんです。

 

 

そして決定できない責任を回避したい日本の弱点も

 

露呈してきています。決まったことしか実行できません。

 

決まったことを破るのもケースバイケース。

 

ほんとに法律や世間に、ギッチギチに体も心も縛られてるなと。

 

たぶん、いろんな有事の際に大事なことは

 

怯えて黙ることではない。

 

 

決断して責任をとる意識を「全体がもつこと」だと思うんです。

 

一部が責任を負ってやればいいと思うから、

 

やる本人はちゅうちょする。

 

やらない周囲は協力姿勢が低くなるんです。

 

 

こういう迅速に対処する事態に遭遇したときに

 

全体の意識がスッと、協力する流れを各自認識できるといいなと。

 

すごくたとえが難しいんですが、

 

みんながロボットのように同じ方向を向くのではなく、

 

 

ちょっとバラバラだけどちょっとずつ各自が

 

ズレているテーブルの位置を直したり、

 

他人の背中についたゴミをとってあげたり、

 

落とし物を拾ってあげたり。

 

 

ちょっとしたことだと思うんですよね。

 

感覚的すぎて、なかなか伝わらないかな(笑)