なんとなく、うたを聴いていた時代。

 

なんとなく、うたを歌いたかった時代。

 

なんとなく、うたの歌詞をかみしめていた時代。

 

 

音楽を聴いて楽しむ、歌う、奏でる。

 

自分の歴史をひも解くと、歌いたかったタイプだと思う。

 

ワタクシは40代なので、ギリギリレコードを買った世代。

 

流行りの歌を聴いていた。80年代半ばあたりから。

 

 

針が飛ぶ感覚もなんとなく覚えているし、

 

CDになっても細長いペラペラの厚紙のCDジャケットの

 

8センチシングルも持っていた。

 

パキッと折ってた初期を経て、折らずにCDラックに並べる。

 

 

中学生くらいになるとブルーハーツがアタマを席巻する。

 

初めて買ったアルバムはトレイントレインのやつ。

 

当時、田舎のCDショップで予約するとでっかいポスターを

 

下半分もらい、発売日以降購入時に上半分もらうという特典。

 

 

ワクワクしながら予約したあと、

 

下半分(足だけかな、たぶん笑)を壁に貼った。

 

なんだかいま考えるとおかしな話だが、貼ってた(笑)

 

 

当時は親に毎日懇願しまくってようやく買ってもらった

 

CDコンポで、近所迷惑もなんにも考えず窓を開けっぱで

 

ガンガンかけて、ワンワン歌ってた。

 

さぞかし、近所迷惑だったろうと思う。

 

 

時代が時代なら、ご近所トラブルレベルの音量、声量。

 

田舎ということもあり、人ものどかで寛容なご近所に救われた。

 

だって毎日、お経みたいな歌(親いわく、そうらしい)を

 

飽きずに毎日、毎日歌っていたもんだから。

 

 

歌詞の意味を吟味するタイプではなく、歌いたかったんですよ。

 

その後はちょっと流行歌を追いかけつつ、ビーイング系を「歌う」

 

90年代に入り、ちょっとオシャレなサウンドとメロディの

 

シングライクトーキングにハマった。これも歌いたかっただけ。

 

 

歌詞の世界に自分を置きに行くことはしてなかった。

 

改めて歌詞を読むとまた、違った印象があるんでしょうけどね。

 

だから世界観に影響を受けるという部分は欠けていたかな。

 

 

そのうち大学中退やフリーターの貧乏生活のなかになると、

 

新しいCDを買う生活じゃなくなり、主にテレビ媒体で流れる

 

流行歌をかすかに聴いたことある程度でたしなむ。

 

歌いたかっただけだったから、どうしても欲しいとは

 

ならなかったんだろうなと、思うんです。

 

 

生活費において、どうしてもなくてはならないジャンル?

 

ではなかったから、衣食住を満たしてさらに

 

余裕があればという位置づけ。

 

 

その後少し安定した職についてからイーグルスにハマり、

 

その後はラブサイケデリコあたりにハマる。

 

ここでもやっぱり「歌いたい、心地よさ」中心のセレクト。

 

その後はもう配信の時代になり、ほとんど買わないし、

 

新しい人の歌や、聴いていたアーティストの歌も

 

買わなくなってしまった。

 

 

貧乏生活時代にマンガも音楽も二の次になったから、

 

そのどん底で知ったのは、なきゃないで生きられる。

 

脳内にいつでもリフレインできるCDがあるからと。

 

エアーで音楽も楽しめてた時期もあったんです(笑)

 

 

ワタクシの音楽との歴史はこんな感じで、あまり親密ではない。

 

ただ歌詞やアーティストの世界観にハマった人は別の視点を

 

もっているんだろうなと思う。コストのかけ方も違うだろうし。

 

 

90年代を経て、2000年代以降はちょっと正論が増えてきたかなと。

 

その分、世界観にハマる人は人生観にも影響を及ぼしてるかも。

 

キラキラ感や正義感に傾倒していくことで、社会への不満に対して

 

自分も寄せていくような感覚もその人たちには

 

あるのかもしれない。

 

そう考えると、正義感強めのいまの社会状況にも一理あるとも

 

思えなくもない、強引か・・・(笑)

 

 

新しい歌はワタクシはもう、購入して聴くことは

 

おそらくないと思う。断言はできないけれど(笑)

 

ワタクシにとって、いいうたとは、

 

歌っていて気持ちいい歌だったのだなと思う。

 

 

歌う側面でしか寄り添ってこなかった分、

 

切り捨てるならばという選択肢のなか、捨てられたんだろう。

 

世界観で寄り添った人とはちょっと違う音楽との付き合い方。

 

もう少し、歳を重ねるとまた向き合い方も変わってくるのかな?