エッセイ的な文章は結局、耳ざわりのいいことや
体験文みたいなもののほうがウケがいいのか。
新しい視点やアイデアみたいなコラム調のものは、
やっぱり公募コンテストでは壁が高いのかもしれない。
一定の公的な評価での自己のブランディングを描いているけど、
なかなかこちらの意図どおりにはならないもんです、やっぱり。
あきらめはしませんけどね、まだまだやりきってない。
ワタクシのような文章だけのスタイルで
視点、アイデア勝負みたいな内容は、
戦略としても、挙げる媒体としても
アメブロは向かないのかもしれない。
「note」のようなところでも同じ記事を書いて、
並行しながらやってみようかなと考え始めています。
まだ見限るほどでもなくてね。
自分の可能性を。
まだまだ出し切れていないアイデアはたくさんあるし、
もう、この人生でやりたいことやりきって死にたい(笑)
安定はもう要りません。最初っから好きじゃない。
もっと若い時にチャレンジせずに尻込みしたから・・・
ロスジェネ世代の、うまくいかなかった人生への悔恨?(笑)
自分のやりたいようにやって、開墾できることはある。
それが見えるか見えないか、やれるかやれないか。
やる気はあっても立ち往生であきらめてる人財は、
たぶん、この世代だけでなくてもすごくたくさんいると思う。
動かしたい、取り組んでみたいアイデアもたくさんある。
そのために自分をブランディングしていくための、
発言力のブランディングのための、文章表現でもあるかな。
うまく書こうと思いすぎると、なんら特徴のないその他大勢、
にしかなれない、ならないんです。
じゃあどこで勝負?って考えると「スキルじゃないところ」です。
スキルは最悪、直せばいい。自分以外でも。
スキルにおぼれると「味が出なくなる」可能性もみえる。
視点やアイデアこそ、突き抜けるための必須条件でしょう。
同じように走らないからこそ、特徴がみえるんですから。
つまりその視点やアイデアのスイッチをみつけること。
このスイッチは最初、スイッチの形を成していないんです。
だから、手さぐりでまさぐり、感覚をつかんでいく。
朝、起きてメガネどこに置いたかわからず探すようにね(笑)
ヒントなんかないんですよね。
頭からこぼれてくるイメージを具体化する、文章化する。
大変ですが、おもしろいんです。これが。
このおもしろさを知ってしまったがゆえに、って気もしますが(笑)
一番ニュアンスとして、近いと感じるのは、
誰かの話を聴いているとき、聴いている言葉の内容を
そのままメモするのではなくて、
自分のフィルターを通して、頭の中に出てくる言葉をつかまえる。
板書する感覚ではなくて、思ったことを書く。
手元をみないで走り書きのようにペンをすべらせて、
紙に手書きしていく感覚。書いてる内容をみないのが大事。
このトレーニングの繰り返しで感覚をつかんできたような。
そうやっていくと自分の感覚がおりてくる。
手元をみないで脳に意識をおく、そんなニュアンスです。
みなさんもやってみたらいかがでしょう?(笑)