コッチは盛り上げてんのに・・・

 

ちゃんとやってくれなきゃ困るよ・・・

 

こんな無責任な雰囲気があるように思う。

 

 

オリンピック終わって奮わなかったとしたら

 

無責任ムードが漂いそうな予感が。

 

 

販売促進のネタとしてチケットをちらつかせる。

 

全然スポーツに対する愛情はないでしょ(笑)

 

応援にもならない、ただの観客が会場を埋める。

 

場合によっては、マナーさえままならない始末。

 

 

どうも私たちの社会は、

 

輝かしいビクトリーロードを描きすぎるきらいがある。

 

 

選手も病に伏すこともあれば、事故に遭うこともある。

 

困難は来るぞ来るぞと喧伝しながら現れはしない。

 

 

オリンピックも、パラリンピックも感動を呼ぶんだろう。

 

それは個人が自分の尺度で感じることであって、

 

手取り足取り、こうなんですよと手助けするものではない。

 

 

でもなんだか感動を引き出そうとしすぎるパターンは健在。

 

あれは上の判断がダメなんだろう、古い体質ドップリの。

 

 

日本人はなんだかんだで、決まったパターンを好む。

 

ちょっとイレギュラーな感覚には毛嫌いをして、遠ざけてしまう。

 

 

美談、美徳が大好きだが、鼻につく美談、美徳は嫌う。

 

嫉妬は方々の速度を止めてしまうが、嫉妬は止まらない。

 

 

年末年始、年明けと同時に前年の流行を意識的に捨てる。

 

新しいものを受け入れる準備をしているのだろうか?

 

 

だとしても、徹底的に受け身な評論家ばかりだから、

 

気に入るものを出してくれるまで、ふくれっ面で腕組みしてる。

 

 

なんだか背景には、すごくキレイに完ぺきにやろうとする

 

ちょっと整いすぎてて、逆に人間味がない社会がみえる。

 

 

しっかりしてる(ように育てられた)若者が多い反面、

 

なんだかもう少しヘタクソで、愛嬌があって、

 

挫折感があってもいいのではないかと思う。

 

 

なんだかなにもかもこなしているサマは、

 

親も子も滑稽にみえてしまう。

 

 

成人式を終え、成人として本格的に自覚する若者たち。

 

挫折や恥を経験してきましたか?

 

いいことばかり経験してきませんでしたか?

 

 

つらいと思うそのハードルは意外とレベル1だったりします。

 

そのとき挫折や恥の経験値がレベル5くらいあると、

 

受け流すことは容易に感じることでしょう。

 

 

もしかしたら、アレにくらべたらこんなの屁でもないわ(笑)

 

って図太いやつらが圧倒的に少なくなってるのかもしれない。

 

 

みんなと同じでは抜け出せません。

 

みんなと同じでは、ひとからげにされ、

 

搾取され、削除されてしまう。

 

一掃されてしまう、一層にすぎないんです。

 

 

列に並ぶなら、みんなと同じで。

 

列に並ばないなら、みんなと違うほうへ。

 

 

無責任であるがゆえに、責任を感じつつも

 

同時に逆に無責任であることも真理である。

 

 

僕らのような中年世代は情報が少なかったゆえに、

 

その情報で画一化されてしまった側面もある。

 

 

これしかないと思わされ、その情報が正しいとされた。

 

しかし数十年時を経て、結果こういう社会になった。

 

 

だから若い世代は、情報があふれるからこそ、

 

意識的に遮断もでき、自分で考えることも可能。

 

 

あらゆるものの答えがあって調べられるからといって、

 

調べたとおりにしていては、ダメなオトナたちと

 

なんら変わらないデキになりますよ(笑)