キラキラしてる人やモノを真似るパターン。

 

コレ好きですよね、人間って。

 

 

真似したくなるから、マネするんでしょう。

 

特に日本人は真似をすることに

 

あまり抵抗はないようですが、

 

かつては世界から揶揄されてたようです。

 

 

いまはスマホを始めとする技術革新の影響で

 

それが日本人だけでなく

 

世界中の人が実現可能になったぶん、

 

世界中の人たちが「日本人化」して、なくもない(笑)

 

 

この現象に親近感は、まったくない。

 

逆に違和感があって、危機感がある。

 

ほんとに頭打ち感が全世界を覆う感じになるのかも。

 

 

真似を少し意味を軽くして、「マネ」する。

 

罪の意識はないだろう。まったくといっていいほど。

 

ちゅうちょなくマネに入っていく。

 

 

どちらかというと、楽しんでマネしてる。

 

マネしちゃいけない境界線も、あるにはある。

 

ただ、みんなが往来するからか、淡くにじんでしまって・・・

 

 

本来の意味として真似っていうのは


真実に似せるということだろうけど、マネとなると

 

ちょっと表面上な感じもあるし、オリジナル感がない。

 

精密さを追求し、細かいところまで再現性を高め、

 

「真似るは学ぶこと」と正当化してきたわれわれ。

 

 

先頭切る勇気はないけど、先頭をマネして改良して。

 

このパターンね。オリジナルをどこかからもってきては、

 

リメイクするような、グレードアップさせるような手法。

 

高度成長時代のカギだったと思います。

 

 

「1をもらって、それを2にも3にもする」能力、

 

日本人の没個性的であり、組織力の高さの特徴ですね。

 

それが哀しいかな、これからの飽和時代に必要な

 

0から1は、不得意という全体像を浮かび上がらせる。

 

 

誰かが先頭切って、雪原を切り拓くように歩くとき

 

かならず2番手以降で、足跡を追って歩く。

 

ついていきます!(不安なんで・・・失敗したくないんで・・・)

 

この「小ズルイ」感じはおわかりだろうか?(笑)

 

 

その成功体験が不動の必勝パターンになった。

 

社会がどんなに変わっても構図はなかなか変えようとしない。

 

だから、0から1を生み出すことへの経緯に対して、

 

敬意を払えない人が多くなってしまっていると感じる。

 

 

いわゆる流行語にしても、年をまたいだ瞬間から

 

「意識的に」過去のものとして、位置付けて距離をおく・・・

 

そういう雰囲気を「どこからともなくつくりだす」んです。

 

 

これも真似とは違うけど、ちょっと嫌な感じ・・・(笑)

 

しょせんマネゴトと揶揄されて、マンネリを生んで飽きられる。

 

そうわかっていながら、わかっていながら・・・!

 

何世代にもわたって続くこの連鎖。

 

 

すぐ廃れるのだと、どこか達観しながら、

 

身を寄せて乗っかって、使い捨てのボロ雑巾のように

 

さようならって、冷酷に捨てる。

 

 

0から1すらできない、敬意も払えない人間が

 

どのツラ下げて、と思いますが(笑)

 

使い倒して捨てる文化みたいなものが

 

どうしようもなく、しみついてしまっているのかな?

 

 

もうかなり意識的に、いろんな情報を遮断しないと

 

私たちはオリジナルな発想ができない環境になっている。

 

こっちの意味の環境問題もかなり深刻ですよね。

 

 

今年の流行りから、こんな私たちに一曲お届け・・・

 

 

レプリ~カ♪花が咲いた~ら♪

 

枯れるまで使い倒そう♪

 

レプリ~カ♪夢を描いたなら~♪

 

こころ迷わず誰かに続け♪