生きながら、あらがい、老いる道を唱えていく。

 

「人生会議」の件、攻めてますね、万人に何か考えさせるために。

 

 

配慮に欠けたとしても、訴えるべきこともあるって。

 

最初の感覚がイヤなら全部ダメ、でもないんですよ。

 

 

むしろインパクトとしては、大胆なスタンスだとか

 

ちょっと強烈なくらいが印象に残るんです。

 

 

この現象に関連して、常々思うことがあるんですよ。

 

当初は批判されるけど、後に時代とともに見直される。

 

 

このパターンって経験あるでしょ?スッと出ないけど(笑)

 

最初から気づく人もいれば、最初は感情的で受け付けない人もいる。

 

 

人間って自分も含めて、その段階の思考や経験で判断してるけど

 

意外とその時点での知見では、間違ってることも多いもんなんです。

 

 

ただ、その後に素直になって謝れない動物ですからね(笑)

 

渋々、みたいな顔で受け入れる感じになる。

 

 

当然、反感をおぼえる一定の層がいて、そこを基準に考えると

 

なにもかも進まなくなるし、あれもこれもと苦しくなっていくんです。

 

 

大事なことは、反感もあるけど引っ込めてはいけないってこと。

 

私たち一般人よりも考えに考えたことでしょうから。

 

 

そして私たちが数十秒で判断してる、その何十倍、何百倍もの

 

時間と労力を使っていることなはずなんですよ。

 

 

すべてを救うことも、正すこともできないし

 

ものすごく高度で、厳しい判断も必要になるから。

 

 

そしてもうひとつ、大事な視点。

 

いまを生きる人を重視「しすぎない」でほしい。

 

 

そのメッセージを発信し続けることも忘れないでほしいですね。

 

昭和の成功体験の延長上には、日は昇らないと思いますよ。