みんな本意ではないのに、こまらせている。
ひとことで言うならいまの社会は、こんな感じだろうか。
逆に翻意(決めたことを変えること)にさせてしまう。
心ないひとことが、他人事(ヒトゴト)として広がる。
前に進めなきゃいけないことは、たくさんある。
だが、主張がぶつかり、いっつも前に進めなくなる。
社会全体でよくないと気づいているんでしょうけどね。
仕掛ける側は手ぐすね引いて待ってるんでしょう、きっと。
仕掛ける側は受け手の大衆心理を逆手にとっていくんですが、
逆手に取られているのを知りつつ、乗っかる大衆も如何なものか。
と同時に、絶対にノーガードでは撃ち合おうとはしなくなって久しい。
人はみんな防御姿勢をとり、警戒し尽くし、感情を抑えるようになってしまった。
リスクから守るため、回避するために、何度でも何重にでも。
重ね着でもするように・・・結局、孤立化していくんじゃないかな。
個人を守って、個人をうたい、個人を孤立化させていく社会はどうです?
子や孫の世代に、はいどうぞって渡せないでしょ。
クッタクタに資源を使い倒して、自分以外をボロキレのようにしといて
笑顔で渡されても、彼らは受け取れないのではないですか?
ヘタするとやりたい放題した報いを老後に背負わされるのは
私たちかもしれません、ボロキレのように切り捨てられて。
こまらせる意図なく、主張し合って、結果、こまらせてしまう。
たらい回し、あと回しの挙句、次の世代へ。自身はぬくぬくと。
「処分」されないようにしないと・・・
次の世代のためになることもしないとね。
自分たちが快適になることを目指しちゃダメでしょうね。
自分に負荷を与え続けて、ガマンできることはガマンする・・・
それくらいでちょうどいいし、帳尻合うのかもしれません。
カンですけど(笑)