雨男発言の河野大臣の当時の様子をみるとなんら落ち度はないですね。
書きかけだったのでちょっと古くなりますが(笑)
笑い声が起こるとき、話の流れや前後含めて、いろんな意味がある。
笑いもいろんな種類があるのに、世間やメディアは一択でのみ切り取る。
ニュアンスをくみ取れず、過剰反応する側もいれば、ガヤ気分のにぎやかしもいる。
この問題点を浮き彫りにさせるためにも、あえて謝罪はしないほうがよかった。
どんな内容でも笑うことを制限してしまうような雰囲気って、ちょっと恐ろしい。
実は笑うところを人生で、意識して鍛えられなかった人が一定数いるからでは?って思う。
不祥事やスキャンダルをネタにしてあえて笑いをとることも、ふつうのこと。
違和感で笑えないと感じる人たちは、幼少期から笑いのない生活をしてただけ。
報道してる中にいたりすると、現状を知るぶんバイアスがかかり、
行動してる自分の正しさに酔いしれる瞬間がみえるときがある・・・
少なくとも第三者からはそう見えるんですよね。
そこにちょっと過剰な寄り添い加減、正義感的な自己陶酔が見え隠れする。
このままいくと、ふざけるのも笑うのもすべて不謹慎だと、注文付け出しますよ(笑)
学生のときもそうでしょ?マジメ人間が仕切りだすとちょっとクラスが暗くなる。
なんか引き締めすぎて息苦しくなってしまうんですよ、かならず。よどむんです。
ヘタ打てなくて、失敗も許さず、マナーない人や悪さをすべて許さない風潮をつくる。
もしかしたらいまの30代から50代の親たちがマジメに育てすぎたのかもしれない。
もう少し緊張を緩和できれば。笑いでストレスは緩和されてるんですよ、きっと。
この親世代、自分たちは意外と好き勝手やって楽しくすごしていた人も多いはず。
悪いことやふざけたりして、失敗して学ぶことのほうが多かったこと、親たちは体感してる。
もうちょっと野放しにしてやらないと。転んでケガさせないとダメなんじゃないか?
ケンカして殴って髪の毛引っ張り合って、痛みを自分で感じないと。
もれなくやってきたことでしょ?叩くこともあった、叩かれたこともあった。
いまと違ってリアルに面と向かってケンカして仲直りしてた。それがふつうのこと。
いまは面と向かって衝突せず、陰でコソコソ、ヒソヒソと文字に変換。
音がないんだ、音が無いままおとなしいふりして、音の無い大人になるのかな?