彼らは演じてるように思える、そういう偏見が入るんだと思うんです。
社会のために活動している人やボランティア、NPOなどに対しては。
どこかマイナーで伝わりきらずに、わかる人にわかってもらればいい的なスタンス。
そのちょっと「酔ってるかげん」が気に食わない人が多いのかもしれない。
正しいことやってますって、キラキラと自己肯定感まるだしを見せられると
やっていない人自身が軽く自己否定から入って、距離をとってしまうんだろうと。
他人を肯定的に評価して、褒めてあげようとする余裕がないのが本音かもしれない。
みんな、そうはいっても自分の生活とのバランスをとって、気持ちはあっても実際は・・・
たぶんこんな感じだと思うんですよ、だからやってる人に対して距離を置いてしまう。
これが、正しいことをやろうが結果的に浸透していかない原因の、最たるもの。
誰かが指示して、それを支持する形でコトがうまく運ぶ。主体性の欠ける形。
このパターンだけでしか成功しなかったし、これしかやってこなかった。
だから誰かがこうやりましょうと音頭を取って、どうですか?やりましょうよ!ってキラキラ。
これじゃイマイチ、イベント的でシラケてしまう気持ちが正直ぬぐえないんですよね。
うまくいったとしても結局、続けるには大きなストレスがかかってきてしまう。
やらなきゃいけないという心理的な負担が一番、ヒザコシカタにのしかかる。
一番難しいから誰もやらないけど、一番大きく動くのは人が「乗り気」になるかどうか。
悪い意味でなくて、惹きつけられるものがあって、本人の意思で心が動くかどうか。
あらゆることでこの考え方は、切り拓く上で大事なカギになるもんだと思ってます。
誰かの指示に、支持するパターンは、引きつけられてるだけで、惹きつけてない。
あなたの番ですもそう、ラグビーもそう。ココロがグワッと動く瞬間だとか
前のめりになる、惹きつけられる瞬間を世間一般の多くの人がやっぱり欲してるんだなって。
でも残念ながら、自分たちで見つけようとするまでには至らない。
誰かの作品や、誰かの行動からしかまだ心を動かせないのが現実。
これまでお客さん然として、100%フルで受け身の姿勢で提供される側が、
自分たちで考え、アイデアを出してやれたら、活路はまだみつかると感じる。
正しい、つらいけどやりがいあるし、みんなのためにがんばろうってスタンスよりも、
おもしろい、ワクワクする、これだけでいい。不謹慎でもなんでもない。
これから正しいことにはますますプレッシャーをかけてくるでしょう。
いい意味でも、悪い意味でも。そして当然、足の引っ張り合いもあるでしょう。
でもね、おもしろいから続くんです。ワクワクするから次またやろうと思うんです。
自分でみつけて、自分でおもしろがってやるコトが求められる時代になる、きっと。
この感覚ってなにもかも機械がやってくれる世の中になると、より重要さを増してくる。
じゃないと、私たちが機械に操られるだけになってしまっちゃいません?(笑)